4代将軍に終身仕えた久世広之

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 1659年、増山正利の後に相模原の領地を受け継いだのは久世広之(1609~1679)であった。

 久世広之の父・久世広宣は今川義元→徳川家康と仕えた戦国時代の武将で、下総・上総国2500石の旗本になっていた。

 久世広之3男であったが、のちに3代将軍になる徳川家光の小姓となり出仕。
 3代将軍・徳川家光の側近になると、4代将軍徳川家綱の守役を任された。
 1662年には若年寄、1663年老中と要職を歴任するなど異例の出世。1669年6月25日、関宿藩50000石12代藩主になる。

 久世氏は1663年の久世広之老中就任から1683年、久世重之の備中庭瀬(岡山市)への移封までの20年間、小田原藩に次ぐ規模の所領を有していたという。

 1664年の記録では愛甲郡之内(津久井領) 23ケ村4454石、大住郡之内 酒井村(厚木市酒井)138石、高座郡(相模原市を含む)之内24ケ村とある。
 淵野辺(一部)、相原、橋本、小山、大島、上九沢、下九沢、上溝、下溝、田名、当麻、新戸、磯部に津久井23ヶ村と、現在の相模原市内大半を知行していた。

 相模国の役所は座間に設置。家臣の年寄衆・富田右善衛門と吟味衆・下河辺次郎太夫らを当たらせ、その下に名主らを在郷目付としてつけた。

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