津久井城と北条氏 【相模原の歴史】
はじめに相模原市の津久井地区は、相模国と甲斐国の接点として、戦略上重要な土地の為、戦国時代には何万もの大軍がしのぎを削った。そんな相模原の津久井にまつわる話をまとめてみた。津久井城(築井城) 津久井湖畔の神奈川県立公園「津久井湖城山公園」に...
はじめに相模原市の津久井地区は、相模国と甲斐国の接点として、戦略上重要な土地の為、戦国時代には何万もの大軍がしのぎを削った。そんな相模原の津久井にまつわる話をまとめてみた。津久井城(築井城) 津久井湖畔の神奈川県立公園「津久井湖城山公園」に...
相模原の歴史シリーズ登場する大名や武将の経歴・家系などをまとめた番外編です。 横山党(横山氏) 敏達天皇(538?~585?)→春日皇子→小野妹子と、遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、小野篁(おののたかむら)(802~853年)の後裔と言わ...
津久井城からほど遠くない所にある、功雲寺(こううんじ)に行って参りました。 新編相模国風土記稿によると、功雲寺は、戦国時代の津久井城主・内藤景定(内藤左近将監景定)が、1534年3月20日卒、功雲寺の開基とあります。 功雲寺は、津久井...
豊臣秀吉が小田原攻めをした時の事です。 佐藤豊成(佐藤伝左衛門豊成、佐藤傳左衛門)は、津久井衆の井上源三郎と共に、1590年4月17日、白根の戦い(白根合戦)※伊勢原市で戦功があり、津久井城主・内藤綱秀から感状を受けています。 北条氏直が...
矢部町にある「箭幹八幡宮(矢部八幡神社)」の御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)です。八幡神社の総本宮は、大分県の宇佐神宮です。八幡神社と言うものは各地にありますが、その理由は、大和朝廷が東日本の各地を征服した際に、八幡神社を建立した為だと...
相模原の「戦国ヒストリア」と称して、相模原市内の戦国時代における史跡・城などを写真と解説付きで、アクセス方法・行き方・駐車場情報・観光所要時間なども交えてご紹介させて頂きます。相模原で勉学に励んでおられる小学生や中学生の自由研究にも良いので...
評議原は、神奈川県相模原市緑区川尻にある相模原の穴場とも言える紅葉スポットです。「評議原」の読み方ですが「ひょうぎっぱら」と呼ばれています。戦国時代の1590年に、豊臣秀吉が小田原攻めを行った際、前田利家・前田慶次郎・上杉景勝・直江兼続・真...
蒲原徳兼(神原徳兼、かんばらのりかね) 神原三郎左衛門 (生年?、没年?)蒲原徳兼(神原三郎左衛門)は元・今川家の一門衆でありながら、江戸時代初期に、相模原市の牧野にて帰農した武将である。蒲原氏は藤原南家からの出自で、室町後期から鎌倉時代を...
相模原市の津久井城に近い津久井又野に城山(245m)と呼ばれる場所があります。 又野城山とも呼ばれます。 天然の要害地形であり、相模川と道志川の合流点である沼本の渡しから三ヶ木へと津久井街道を登ってくる敵を高所から迎撃できる有利な防衛線陣...
相模原の津久井・道志川と串川の間にある仙洞寺山583mは「火海(ひうみ)峠」と呼ばれ、この山が津久井城と伏馬田城との中間点に位置することからも、烽火台として使用したと考えられます。 津久井には、烽火の火が消えず、付近一帯の山が本当に火に...