相模原市の津久井城に近い津久井又野に城山(245m)と呼ばれる場所があります。
又野城山とも呼ばれます。
天然の要害地形であり、相模川と道志川の合流点である沼本の渡しから三ヶ木へと津久井街道を登ってくる敵を高所から迎撃できる有利な防衛線陣地ですが、城郭部は津久井にしては比較的平坦となっています。
また、津久井城と間山狼煙台の中間でもある事からも、小田原北条氏が築き、津久井城の出城的役割をもったものと推測でき、当然、津久井衆が詰めていたと考えられます。
旧街道の抑えでもあり、武田信玄が、三増峠の戦いから、甲斐への帰路に着いた際にも、この地を通過していることが予測できます。
なお、城山の西である急崖の平地を「馬場」とも呼ぶので、北条家の蜂火台の1つであったとも考えらます。
しかし、現地の地勢を見て、古い家屋が多く残っている、城下町は尾崎咢堂記念館の集落だと思えます。
そうなると、最初の頃は、郭とも受け取れる、相模川沿いの八幡神社・實相院辺りが、その古城、もしくは支城(砦)であったのではと想像が膨らみます。
ここからでしたら、旧街道を通行する敵に、横槍を入れることができますからね。