相模原の戦国時代の城郭・史跡ヒストリア-訪問記・写真付
相模原の「戦国ヒストリア」と称して、相模原市内の戦国時代における史跡・城などを写真と解説付きで、アクセス方法・行き方・駐車場情報・観光所要時間なども交えてご紹介させて頂きます。相模原で勉学に励んでおられる小学生や中学生の自由研究にも良いので...
相模原の「戦国ヒストリア」と称して、相模原市内の戦国時代における史跡・城などを写真と解説付きで、アクセス方法・行き方・駐車場情報・観光所要時間なども交えてご紹介させて頂きます。相模原で勉学に励んでおられる小学生や中学生の自由研究にも良いので...
1213年和田合戦で三浦一族和田氏に加担した横山党は和田氏と共に滅亡することになる。 横山党の旧領地である横山庄(現在の八王子市周辺)は、和田合戦の恩賞として、執権・北条氏の息がかかる検非違使・大江広元(おおえのひろもと)(1148年~1...
津久井城の開設者とされる津久井為行 津久井為行には、3人の息子がいたとされ、その名を矢部義郷、二宮義国、平塚為高と言う。 まずは次男の二宮義国から検証する。 1213年の和田合戦前の時代、八王子を中心に現在の相模原市も勢力下にしていた「武...
津久井城を築城したとされる津久井為行相模原市の津久井に館を構えたのは、鎌倉時代初期の「津久井為行(筑井為行)」で、その津久井氏の名前が地名になったと言う説がよく見かけられ、津久井城のコーナーでも紹介させて頂いた。別の説では津久井為行の父・津...