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津久井【三姫物語】

 相模原市の津久井地区には3人の姫の伝説が残る。 南北朝時代に、鎌倉から逃れ津久井の青山の寺で病をいやし、甲州へ落ちのびていった「雛鶴姫」 串川の由来になったとされる「櫛川姫」の悲恋 武田氏滅亡の際、追っ手に追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の...

白百合姫伝説を検証

 前頁では「白百合姫」に関する伝説をご紹介させて頂きましたが、2つの伝説を検証してみます。 まず後者の明王峠近くの長者屋敷の姫の件ですが、当初、どのような人物なのか、全くわかりませんでした。関連して、重方と言う名の武将がいたとの話もありまし...

白百合姫伝説と石投げ地蔵嬢が塚 (石投地蔵嬢ヶ塚)

津久井三姫物語でもご紹介致しておりますが、津久井には姫にまつわる伝説がいくつかあります。相模原市の白百合姫に関するご紹介です。陣馬山近くの明王峠には甲斐・武田家が武運を祈願したという不動明王があります。下記写真がそうです。その明王峠から南の...

神の川に身を投じた折花姫・相模原のお姫様伝説

戦国の世にさる国から追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の川に身を投じた折花姫 武田家臣としては戦陣での使番であるムカデ衆(大百足差物衆)の武将であった小山田行村(小山田八左衛門尉行村、小山田八左衛門、小山田彦之丞)は、武田氏滅亡の折、小山田信茂...

串川の由来でもある櫛川姫の悲しい恋の伝説

津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。川の下流には横笛を好む若者がおり、その若者は毎晩岸辺に立って笛を吹いていたが、ある月夜の晩、若者は足の向くままに川上へと笛を吹いて行った。「川の上の方には何が...