津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。
川の下流には横笛を好む若者がおり、その若者は毎晩岸辺に立って笛を吹いていたが、ある月夜の晩、若者は足の向くままに川上へと笛を吹いて行った。
「川の上の方には何があるんだろう。」と、若者は胸をはずませながら夜露を歩き、しばらくして道場と言う地区に着いた。
道場にある橋を渡ると、目の前にたいそう立派な御殿が月の光をあびて建っていた。
御殿の近くに行くと、御殿の中から、琴の音が松の梢をとおして静かに聞こえてきた。
「なんとやさしい音色だろう。」 しばらく耳を傾けていた若者は、やがて琴の音にあわせるように笛を吹きはじめた。
琴と笛の調べはしっとりと、とけあって、澄んだ夜に流れていった。
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村のしゅうも、そっと戸を開けてうっとりと聞きほれたそうだ。
いつか琴の音はやんだが、若者は酔ったように笛を吹いていると、うしろにひとりの姫が立っていた。
若者は驚いて「さきほどの琴の音は、姫様でございましたか?」と聞くと、
「はい、私はこの館に住む者でございます。笛の音に導かれてここまで参りました。どうぞ、もう一曲お聞かせくだされ。」と姫は答えました。
若者は心をこめてまた笛を吹いた。じっと聞き入る、姫様の黒くて長い髪がつやつやとして、それは美しい姫であった。
二人は、つぎの満月の夜にまた会うことを約束した。
満月の夜が来る度に、若者が笛を吹き、傍らでじっと耳を傾ける姫の姿があった。
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笛の音は、時には高く、時には低く、心にしみ入る音をひびかせた。その音は、川のせせらぎにのって、静かに静かに流れていった。
月の光の中、二人はとても幸せそうに寄り添っておった。こうして若者と姫は互いに深く信じあい、愛しあうようになった。
二人の仲は、やがて村のしゅうの目に触れ、「お似合いのお二人じゃ」と、村のしゅうは、あたたかく二人を見守っておった。
ある満月の夜、若者はとつぜん旅の姿で姫君の前に現れた。
「父の用で他国へ行くことになりました。一年たったら帰りますゆえ、それまで待っていてくだされ。これは私がそなたのために彫った櫛じゃ。これを私だと思って大切に持っていてくだされ。この櫛に私の命をたくして、いつもあなたの傍におりまする。」
若者は金銀象嵌の見事な櫛を姫に贈った。別れを悲しんで泣き伏す姫の髪にそっとさしてやった。見つめあう二人の目からとめどなく涙があふれてきた。
それからは、寂しい日々が続いたが姫は櫛を肌身離さず持ち、ときには、そっと櫛に語りかけていた。
ある夜、満月が山の上にのぼった頃、姫は橋の上にたたずんでいた。月が川面にゆらめいている。 姫がじっと川を見つめていると突然、若者の姿が映った。苦しげに手をさしのべている。
「若君!」
思わずさけんで身を乗り出してしまったとき、髪にさしていた櫛がはらりと川に落ちていった。
「あっ、櫛(くし)が!」
姫は狂ったように川の中に入って櫛を探したが、暗闇の中、流れてしまったのか、櫛はとうとう見つからなかった。
川面に映った若君の苦しげな姿、そして大切な櫛が落ちていった・・・。
「もしや若君の身に・・・。」と、姫は来る日も来る日も、「櫛、櫛、」とつぶやきながら、川の中を探し回った。
村のしゅうも、姫の思いつめた様子に、これは一大事と、みんなで探したが、櫛はどこにも見あたらない。
しばらくたって、旅に出た若者が病で亡くなったという悲しい知らせが村に届いた。
姫が、川面に若君の姿を見、櫛を落としたあの夜の出来事であったと・・。
ある夜、姫は、やつれはてた姿になって川岸に立った。
「若君、あなたはひとりで遠いところへ旅立っておしまいになりました。私はあなたの命である櫛を落としてしまいました。私もすぐに若君のおそばへ参ります。」
瞳は遠くを見つめ、どこか幸せそうであったそうだ。
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村のしゅうは、結ばれなかった二人を悲しみ、誰ともなく、この川を「くし川」と呼び、若者と姫の哀しい物語を語り伝えたいと言う。
ずっとあとになって、くし川の下流にある小倉村で、たまたま釣りをしていた年寄りが、川底に光る美しい櫛を見つけた。
小倉村の人々は、鳥屋村での話を知り、川原橋の上にある丘に小さな祠を建てて、その櫛を祭った。。この祠は「小櫛堂」と呼ばれ、二人の冥福を祈り、供養をした。
小櫛堂は存在していた言われており、現在はなくなってしまっているようです。
また、相模原市津久井町鳥屋に御屋敷という地名が現在でも残っています。
> 津久井三姫物語