石投げ地蔵から階段を一生懸命登りまして、明王峠に戻り、次に底沢峠へと向かいました。
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底沢峠
底沢峠はベンチもない、ひっそりとした峠ですが、この底沢峠が昔は明王峠でした。
と考えますと、その昔は不動明王がある現在の明王峠は、単なる「峰」であったと断定して良いでしょう。
先ほど訪れました、石投げ地蔵よりちょっと登った辺りから、直接、底沢峠へと繋がる道があります。
草に覆われて、ほとんど見えない道なのですが、恐らくはこれこそが古道です。
※各写真はクリックすると拡大します。
上記写真が、底沢峠近くから、その石投げ地蔵方面にそれる分岐地点です。
長者屋敷跡
この底沢峠(昔の明王峠)から、東に100mほど向かったちょっとた標高721mのピークに長者屋敷跡があります。
ただし、説明看板などはありませんので、写真は私が想像した場所です。
結構な広さがありまして、屋敷を建てるスペースとしては充分すぎるほどです。
現在は木々が生い茂っていますが、木が無ければ、相模湖方面の展望もすこぶる良いです。
ただ、ここで生活するには、まず水をどうやって確保したのか?疑問に感じます。
近くに湧水があるようにも思えませんしね。
堂所山烽火台
さて、いよいよ最後の目的地である堂所山烽火台を目指します。
底沢峠から堂所山へは、下がって、登るような感じでして、私が一番嫌いなパターンです。
途中、木の根が浮き出ていますので、その下は恐らく岩盤です。
堂所山は東海道ふれあいの道からは、ちょっとそれた小峰となりますので、本コースから脇コースに入って登りますが、途中から道が細いです。
ともあれ、堂所山の山頂に到着。
1841年に完成した新編相模國風土記が、村民から聞いた話として、堂所山烽火台には武田勢が敵襲を知らせる「鐘の堂」があったと言います。
ただ、こんな山の中の頂上に鐘を置いても、果たして聞こえたのか?非常に疑問ですが、鐘は夜間や、曇りで周りが見えない時などに用いたと言いますので、そうなのかも知れません。
普通に、烽火台と考えてよく、景信山と陣馬山の中継地点としての烽火台だったのでしょう。
なお、堂所山の山頂も見晴らしが良さそうなところなのですが、展望は木々の合間からでしかなく、良く見えません。
以上で、今回3部に渡ってご紹介致しました、陣馬山烽火台から堂所山烽火台の訪問記でした。
バックナンバーは下記です。
←第1部・陣馬山の陣~陣馬山烽火台
←第2部・白百合姫伝説と石投げ地蔵嬢が塚
また、下記には今回訪問した際の所要時間やルートなどを記載しておきます。
今回の行程
和田峠駐車場(標高688m)0740
→20分(標高差↑167m)
陣馬山(標高855m)0800
→30分(標高差↓131m)
奈良子峠(標高724m)0830
→10分
明王峠(標高739m)不動明王がある0840
→5分
石投げ地蔵(女が塚、嬢ヶ塚)(標高差87m)
→戻る15分
明王峠0900
→5分
底沢峠(標高716m)・長者屋敷跡
→25分
堂所山(標高731m)0925
→70分
和田峠へ帰還
合計約3時間(休憩含まず)
なお、上記の所要時間は、標準のコースタイムよりは早いですので、念のため記載しておきます。
今回は5月下旬の平日に訪問してみました。
上記の行程にて「トイレ」があるのは、和田峠、陣馬山、明王峠の3箇所だけですが、一番立派なのは陣馬山のトイレです。
4月以降は「紫外線」も強くなりますので、紫外線対策と熱中症対策も必須です。
登山装備は、陣馬山だけでしたら、そんなに心配いりませんが、他も行くのであれば地図など万全の準備にてお願い申し上げます。
私が山の城攻めを行う際の装備としては、こちらのページをご参照願います。