カテゴリー: 相模原の歴史

神の川に身を投じた折花姫・相模原のお姫様伝説

戦国の世にさる国から追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の川に身を投じた折花姫 武田家臣としては戦陣での使番であるムカデ衆(大百足差物衆)の武将であった小山田行村(小山田八左衛門尉行村、小山田八左衛門、小山田彦之丞)は、武田氏滅亡の折、小山田信茂...

串川の由来でもある櫛川姫の悲しい恋の伝説

津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。川の下流には横笛を好む若者がおり、その若者は毎晩岸辺に立って笛を吹いていたが、ある月夜の晩、若者は足の向くままに川上へと笛を吹いて行った。「川の上の方には何が...

又野城(又野城山) 津久井の謎の城を特定してみた

 相模原市の津久井城に近い津久井又野に城山(245m)と呼ばれる場所があります。 又野城山とも呼ばれます。 天然の要害地形であり、相模川と道志川の合流点である沼本の渡しから三ヶ木へと津久井街道を登ってくる敵を高所から迎撃できる有利な防衛線陣...

仙洞寺山烽火台 相模原にある北条家の監視城

 相模原の津久井・道志川と串川の間にある仙洞寺山583mは「火海(ひうみ)峠」と呼ばれ、この山が津久井城と伏馬田城との中間点に位置することからも、烽火台として使用したと考えられます。  津久井には、烽火の火が消えず、付近一帯の山が本当に火に...

尾崎行雄とは 伏馬田城主尾崎氏の子孫

伏馬田城主だった尾崎掃部助の子孫は、北条氏滅亡後、又野(現在の津久井湖畔)に移住し、江戸時代初期には又野村の長となった。その後明治初期、尾崎氏の子孫に尾崎行雄(尾崎咢堂)と言う政治家が現れる。尾崎行雄は1858年又野で生まれた。尾崎咢堂の身...

鷹取山烽火台への登城チャレンジ

 鷹取山烽火台は、佐野川と上野原の間にある標高472mの峰で、郡内を治めていた武田家臣・小山田信茂が築き、北条家との国境を監視したと考えられています。 すなわち、この辺りが、戦国時代の武田家と北条家の国境となる訳でして、今でも、神奈川県と山...

鉢岡山烽火台 北条家の狼煙ネットワーク

 相模原市の藤野町日蓮より南に面する鉢岡山(標高460m)。 その鉢岡山頂上から400mほど下ったところにある円錐形をした小峰458mは、地元で「鐘撞(かねつき)堂跡」などと伝わり、戦国時代の烽火台があったと考えられます。 しかし、展望に優...

小仏城山 (城山)  小仏峠

 相模原市の相模湖町と八王子の境に小仏峠(548m)があります。 現在は中央本線や中央高速などが通る交通の要所ですが、戦国時代中期までは、ほとんど人が通らない峠だったようで、八王子から甲斐への交通は和田峠を使用するのが普通だったようです。 ...

景信山烽火台~横地将監景信

 高尾山から北上して、小仏峠を越えた所に「景信山」があります。  この景信山烽火台~横地将監景信  景信山722mは展望も良く、関東を一望できます。 滝山城・八王子城主の北条氏照に仕える人物で、横地景信(横田長次、横地吉信、横地監物、横地将...