カテゴリー:相模原の歴史

  • 神の川に身を投じた折花姫・相模原のお姫様伝説

    戦国の世にさる国から追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の川に身を投じた折花姫  武田家臣としては戦陣での使番であるムカデ衆(大百足差物衆)の武将であった小山田行村(小山田八左衛門尉行村、小山田八左衛門、小山田彦之丞)は…
  • 串川の由来でもある櫛川姫の悲しい恋の伝説

     津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。  川の下流には横笛を好む若者がおり、その若者は毎晩岸辺に立って笛を吹いていたが、ある月夜の晩、若者は足の向くままに川上へと笛を吹…
  • 雛鶴姫~後醍醐天皇の第1皇子である護良親王の子を宿すも秋山へ

    護良親王幽閉の際に寵妃として仕えていた雛鶴姫(ひなづるひめ)と言う女性の悲劇についてご紹介したい。 護良親王については、淵辺義博の中などで詳細を記載しているので、是非ご覧願いたい。 1335年7月23日、中先代の…
  • 又野城(又野城山) 津久井の謎の城を特定してみた

     相模原市の津久井城に近い津久井又野に城山(245m)と呼ばれる場所があります。  又野城山とも呼ばれます。  天然の要害地形であり、相模川と道志川の合流点である沼本の渡しから三ヶ木へと津久井街道を登ってくる敵を…
  • 仙洞寺山烽火台 相模原にある北条家の監視城

     相模原の津久井・道志川と串川の間にある仙洞寺山583mは「火海(ひうみ)峠」と呼ばれ、この山が津久井城と伏馬田城との中間点に位置することからも、烽火台として使用したと考えられます。  津久井には、烽火の火が消え…
  • 伏馬田城主尾崎氏の子孫 尾崎行雄

     伏馬田城主だった尾崎掃部助の子孫は、北条氏滅亡後、又野(現在の津久井湖畔)に移住し、江戸時代初期には又野村の長となった。  その後明治初期、尾崎氏の子孫に尾崎行雄(尾崎咢堂)と言う政治家が現れる。尾崎行雄は185…
  • 伏馬田城山烽火台(伏馬田城、尾崎城)

     相模原から道志に繋がる、道志川沿いにあたる、藤間町牧野にある相模湖カントリークラブと、道志川に挟まれた山頂539mにある山城が伏馬田城、伏馬田峠、尾崎城、菅井の城山、尾崎掃部助城、尾崎峰、尾崎山、鐘撞丸とも呼ばれます。…
  • 奥牧野城山(奥牧野城)と、牧野の戦い・相模原の古戦場

     神奈川県と山梨県との県境、相模原市の藤野町奥牧野のある平城。  平城と言っても、その周りは山間で、平らな土地は少ないところです。  秋山川がS字型に蛇行する標高278mの小平地が「城山」と呼ばれ、昭和始めまでは…
  • 鷹取山烽火台への登城チャレンジ

     鷹取山烽火台は、佐野川と上野原の間にある標高472mの峰で、郡内を治めていた武田家臣・小山田信茂が築き、北条家との国境を監視したと考えられています。  すなわち、この辺りが、戦国時代の武田家と北条家の国境となる訳でし…
  • 鉢岡山烽火台 北条家の狼煙ネットワーク

     相模原市の藤野町日蓮より南に面する鉢岡山(標高460m)。  その鉢岡山頂上から400mほど下ったところにある円錐形をした小峰458mは、地元で「鐘撞(かねつき)堂跡」などと伝わり、戦国時代の烽火台があったと考え…
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