相模原の歴史に関する情報
烽火台・狼煙台とは
烽火(のろし、ほうか)・狼煙(のしろ、ろうえん)と呼びます。(下図は烽火台) 日本では戦国時代に発達した、敵の来襲を急ぎ知らせる為の通信手段の1つです。中国では紀元前200年頃シルクロードに設置され、イギリスでも16世紀頃スペイン無敵艦隊の...
相模原の歴史に関する情報
烽火(のろし、ほうか)・狼煙(のしろ、ろうえん)と呼びます。(下図は烽火台) 日本では戦国時代に発達した、敵の来襲を急ぎ知らせる為の通信手段の1つです。中国では紀元前200年頃シルクロードに設置され、イギリスでも16世紀頃スペイン無敵艦隊の...
豊臣秀吉の小田原攻めにて、北条氏照の八王子城が攻められ落城した際のことである。 八王子城から辛くも包囲網を脱出した津久井城(築井城)へ伝令武者が、相模原市城山町の穴川まで来た時、地元の百姓に津久井城の状況を聞いてみた。 すると、津久井城も...
神奈川県相模原市の上溝にある亀ケ池八幡宮の東側にある河岸段丘の坂、丸崎から陽光台に登る事が出来る急坂に関する話です。丸崎の馬坂 (横山坂)馬坂は昔より使われていた坂道だが、今のような舗装されていた訳ではなく、狭くて赤土がむき出しの滑りやすい...
小栗半官の物語では 照手姫の父は相模国・横山氏(横山党)とする話(美女と信じさせるため、小野小町にあやかったのか?) 小栗判官を盗賊から助けた遊女が照手だったとする話(姫とは呼ばない) 照手姫は下野国(しもつけのくに)日光山の申し子で、横...
前頁でご紹介したとおり照手姫伝説は相模原に2つ存在しますが、どちらも同じともとらえられる内容で、似ている部分があります。父である横山氏の名前が違いますが、これは物語上同一人物と考えられます。現在の相模原市横山又は上溝に屋敷があった事を両方と...
日本の地名と言うものは、昔から呼ばれていたケースだけでなく、豪族や人物の姓名が地名になるケースなど様々です。相模原市に町名として今でも残っている地名にも、歴史ある地名があります。横山、小山、矢部、田名などの地名の由来を調べていくと「横山党」...
神奈川県を南北に連なる相模川は、相模ダムと城山ダムが完成する以前は水量が多く、また現在のように堰や堰堤がなかったので、江戸時代までは多少大きな船でも航行できた。 鎌倉の寺院造営や、小田原城設営などの際、津久井城付近から木材を切り出して、...
日本の地名と言うものは、昔から呼ばれていたケースだけでなく、豪族や人物の姓名が地名になるケースなど様々です。相模原市に町名として今でも残っている地名にも、歴史ある地名があります。横山、小山、矢部、田名などの地名の由来を調べていくと「横山党」...
粟飯原氏 (藍原氏、相原氏) 相模原に進出した横山党は最初は相模原市城山町の小野を中心に栄え、その後、相原に本拠を移し、相原から市内各地に別れていったと考えられますので最初に紹介します。 平安末期の頃、横山本家の横山時重が粟飯原氏と改名し...
日本の地名と言うものは、昔から呼ばれていたケースだけでなく、豪族や人物の姓名が地名になるケースなど様々です。相模原市に町名として今でも残っている地名にも、歴史ある地名があります。 横山、小山、矢部などの地名の由来を調べていくと下記のような...