カテゴリー: 相模原の歴史

相模原の古墳時代

はじめに相模原には 旧石器時代の小保戸遺跡(約2万3000年前)、田名向原遺跡(約2万500年前)や、縄文時代中期の勝坂遺跡(勝坂式土器が出土、約5000年前)など、古くから日本に住んだ人々の生活跡が発見されています。その後、稲作が入った弥...

注目の小保戸遺跡 (相模原の遺跡)

小保戸遺跡 (こほといせき) 約23000年前 小生が現在最も注目している遺跡。津久井城跡の南側に分布する遺跡で、比較的最近になって圏央道の建設現場から見つかり、2007年2月1日より、かながわ考古学財団による発掘調査が開始されているが、ま...

国指定・田名向原遺跡 (相模原の遺跡)

国指定・田名向原遺跡  約20500年前、国指定史跡としては日本列島最古の部類の建物跡もある約20500年前の遺構。 相模川左岸の比高11mの低位段丘上に立地している。遺跡の川寄りでは水成層の堆積がみられ、後期旧石器時代には相模川の川岸に位...

国指定・史跡 勝坂遺跡 (相模原の遺跡)

国指定・史跡勝坂遺跡 約5000年前 縄文時代中期前半頃(約5000年前)における日本を代表する大集落跡で60軒以上の住居跡が見つかるなど、関東地方における縄文時期を区分する標式遺跡(基準遺跡)で「勝坂式」と呼ばれる。標高は約70mで遺跡は...

国指定・川尻石器時代遺跡 (相模原の遺跡)

国指定・川尻石器時代遺跡 相模川上流域左岸の河岸段丘上に立地する標高141m付近の縄文時代中期~後期にかけての集落跡。遺跡の下層に縄文中期の竪穴住居址、上層に中期末~後期前半の敷石住居址など、合計80軒以上の住居跡が確認されている。 縄文後...

国指定・寸沢嵐石器時代遺跡 (相模原の遺跡)

国指定・寸沢嵐石器時代遺跡 約4000年前 昭和3年(1928年)7月、畑の耕作中に地表下に石が敷かれている箇所が発見され、長谷川一郎氏による発掘調査で敷石住居跡であることが確認された。 寸沢嵐遺跡(すわらし)は、柄鏡(えかがみ)形敷石住居...

相模原の旧石器時代・縄文時代

旧石器時代から相模原でも人々は生活していた 100万年前の相模原南部は海になったり、陸になったりとの繰り返しで、その後、幾度も箱根や富士山の火山灰が堆積するなどを繰り返した。 なお、人類はもっと昔の約600万年~約700万年前(少なくとも2...

縄文人が付けた相模原などの地名由来?

旧石器時代から相模原で人々は生活していた 今から700万年前に、アフリカで、猿(チンパンジー)から、枝分かれして「人類」が誕生しました。 その後、徐々に人口が増えたと考えられ、約10万年前に人類の一部がアフリカを出て、4万~3万年前に日本列...

津久井城と北条氏

はじめに 相模原市の津久井地区は、相模国と甲斐国の接点として、戦略上重要な土地の為、戦国時代には何万もの大軍がしのぎを削った。そんな相模原の津久井にまつわる話をまとめてみた。津久井城(築井城)  津久井湖畔の神奈川県立公園「津久井湖城山公園...