国指定・川尻石器時代遺跡 (相模原の遺跡)

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国指定・川尻石器時代遺跡

 相模川上流域左岸の河岸段丘上に立地する標高141m付近の縄文時代中期~後期にかけての集落跡。遺跡の下層に縄文中期の竪穴住居址、上層に中期末~後期前半の敷石住居址など、合計80軒以上の住居跡が確認されている。
 縄文後期の敷石住居址は多数発見されており、落とし穴の他、打製石斧(だせいせきふ)、石匙(いしさじ)、石鏃(せきぞく)、石剣(せっけん)、敲石(たたきいし)、石皿(いしざら)、砥石(といし)、石棒(せきぼう)、甕形土器(かめがたどき)、土偶(どぐう)、土製円盤(どせいえんばん)等の出土が確認されている。
 国指定になったのが、昭和6年と古いので、当時は石器時代のものと考えられていたようだが、現在の区分では縄文時代。

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 縄文時代中期には大規模な環状集落がつくられ、中期終末から後期初頭になると、住居形式が竪穴式から柄鏡形敷石住居へと変化し、集落の規模は縮小。
 縄文後期には、敷石住居跡とともに配石遺構や配石墓群などが何箇所かで見つかっています。また、縄文晩期においては、集落中央部を窪地化させた造成の痕跡が確認され、焼骨が多量に出土するなど、特異な縄文文化の変遷を今に残している。

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