日本の地名と言うものは、昔から呼ばれていたケースだけでなく、豪族や人物の姓名が地名になるケースなど様々です。相模原市に町名として今でも残っている地名にも、歴史ある地名があります。
横山、小山、矢部、田名などの地名の由来を調べていくと「横山党」の存在がわかりました。
淵野辺の地名には「淵辺氏」などが関与していたのかも知れません。
相模原では美女谷温泉や、横山段丘崖(だんきゅうがい)沿いに照手姫(てるてひめ)の伝説が残っています。
まず始めに相模原市横山の地名の由来になった「照手姫伝説」からご紹介します。
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上溝の照手姫(てるてひめ)の話
照手姫の乳母であった日野金子という人が、現在の上溝・日金沢(ひがんざわ、彼岸沢とも書く)に住んでいたと言われ、その日金沢の上段の横山台地に横山将監という豪族の館があり、女の子が生まれました。
女の子は照手姫と名づけられて、それはそれはきれいなお姫様に育ちました。
(上記写真は橋本駅・杜のホール入口にある照手姫像の写真)
ある日森の中で、照手姫は傷を負って倒れていた一人の若武者を助けました。姫はひと目で、その若武者が好きになってしまい、その若武者も姫が気に入ってしまいました。
しかしその若武者は、こともあろうに敵方の侍大将小栗判官でした。ふたりの愛はそんなことに関係なく深くなり、ついに照手姫は父の横山将監のもとを離れて小栗判官のもとへ行きました。
その後、小栗判官は照手姫の父・横山将監を滅ぼしました。
と言うエピソードが上溝に残る伝説となっていますが、この話にはかなり疑問点が多く、完全に作られたお話だと考えられます。
少し無理があるようにも感じますが、上溝を流れる姥川は、照手姫の産湯とした使った為「産湯(うぶゆ)」が変化して「姥川」になったとも言われています。
JR相模線の近くにある「榎神社」の榎は照手姫が植えた榎だと言われています。
また、「井戸つぼ」呼ばれる湧水がかつて湧いていて、その水を産湯として使ったとも言われています。
付近は遊歩道になっていますので、是非訪れてみて下さい。
古山の照手姫の話
相模原市の古山にある十二天神は、昔、十二の塚があったとされます。これは小栗判官と照手姫、その家来の10人の墓だと伝えられています。
この地に馬屋窪という所があり、照手姫の父・横山弾正がそこで鬼鹿毛という荒馬を飼っていました。横山弾正の屋敷はそこから北西へ八町ほど離れたところにありました。
横山弾正は照手姫の心をとらえた小栗判官が憎くてたまらず、亡きもにしようと企み、「あの鬼鹿毛にうまく乗って見せてくれ」と言いました。
小栗判官が照手姫の父の言葉ゆえ、断れず鬼鹿毛に近づいていくと、鬼鹿毛はいつも人間の生き餌をあたえて、手のつけられない荒馬でしたので、今日も人間が食べられると思い、一声高く嘶きました。
その嘶きは八町離れた屋敷にいた横山弾正にもはっきりと聞こえました。横山弾正は「さては小栗は鬼鹿毛に食われたか」と思っていると、小栗判官が手綱さばきもあざやかに、荒馬を乗りこなして来たのです。
これを見たさすがの横山弾正もとうとう折れて、仕方なく照手姫との結婚を認めたと言うことです。
近くのばんば坂(馬場坂)は、小栗判官が鬼鹿毛を乗りこなした場所と伝えられています。
下記地図のポイント地点が、小山の十二天神の場所です。
2つの話を検証
上記のように照手姫伝説は相模原に2つ存在しますが、どちらも同じともとらえられる内容で、似ている部分があります。
父である横山氏の名前が違いますが、これは物語上同一人物と考えられます。現在の相模原市横山又は上溝に屋敷があった事を両方とも示唆しています。
小栗判官と照手姫の出会いや、知り合う経緯は多少異なるように思えます。
実は、照手姫伝説は、相模原のこの2つの話だけでなく、他にもたくさんありまして、そのストーリーも似ているものが多く、たくさんあります。
つぎでは、更に詳しく「照手姫」に関して検証してみます。
→小栗城 小栗満重の小栗判官伝説
→遊行寺とは 照手姫の墓 小栗判官の墓
→照手姫伝説を検証 小栗判官伝説
→小栗城 小栗満重の小栗判官伝説