カテゴリー:相模原の歴史

  • 小沢渡船場 久所の渡し

     現在の相模原市田名にある水郷田名と、愛川町小沢の相模川には「高田橋」がかかるが、昭和の時代までは小沢の船渡しがあり、古くから交通の要所だった。  相模原川から見ると水郷田名の古い地名で「久所の渡し」と呼ぶ。  …
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  • 大久保教寛・大久保教平

     大久保教寛(1657年~1737年12月17日)は、老中で小田原藩主・大久保忠朝(1632~1712)の次男で、1706年10月15日、江戸城西の丸の若年寄に就任し11000石になり分家。松永藩(のちの荻野山中藩)初代…
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  • 田名・大島などを幕末まで藩領とした大久保氏

     大久保氏で最初に田名・大島などを知行した大久保常春(1675年3月27日~1728年10月11日)は大久保忠高の次男として生まれ、父隠居に伴い1699年近江の内15000石を相続。その後、1711年側衆、1713年若年…
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  • 下溝・新戸を領した井上正長

     井上正長(1654年~1720年)の父は美濃国郡上藩主・井上正任(井上正利の子)で井上正長はその三男。母は本多忠義の娘。兄に井上正岑(老中)がいる。  1693年、父・井上正任から3000石を分与されて交代寄合と…
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  • 4代将軍に終身仕えた久世広之

     1659年、増山正利の後に相模原の領地を受け継いだのは久世広之(1609~1679)であった。  久世広之の父・久世広宣は今川義元→徳川家康と仕えた戦国時代の武将で、下総・上総国2500石の旗本になっていた。 …
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  • 4代将軍と親戚になった増山正利

     増山正利(1623年~1662年)を語る前に、お楽の方(高島御前、宝樹院)を知って頂きたい。  お楽の父・青木三太郎利長は旗本・朝倉家に仕える下級武士であったが、主君の金を使い込み、禁猟だった鶴を撃ち死罪となった…
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  • 徳川忠長の相模原領地を継いだ老中・松平信綱

     松平信綱(1596年10月3日~1662年3月16日)の父は大河内久綱。叔父である松平正綱の養子となり、松平姓を称す。幼少の頃より才知に富んでおり、1604年徳川家光の小姓となる。  1627年1月5日10000…
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  • 相模原の一部も知行していた徳川忠長

     将軍争いに敗れた徳川忠長  徳川忠長(1606年~1633年)は徳川幕府二代将軍・徳川秀忠と正室・お江与の間に生まれた男児で、3男にあたる。  お江与は、浅井長政とお市(織田信長の妹)の間に生まれた三女で、姉は…
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  • 内藤氏・青山氏の転封後の江戸時代相模原領主

     江戸時代 内藤氏・青山氏の転封後  内藤氏・青山氏の転封後には、その領地は1615年~1623年頃、一時、幕府直轄領となった。相模原市域の直轄領は、代官・守屋行広(守屋定佐太夫行広)が支配した。守屋氏については、…
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  • 淵野辺を幕末まで知行した旗本・岡野氏

     淵野辺は1590年当初、徳川家の直轄地だったが、関ヶ原の戦い以降、岡野氏が淵野辺を所領とした人物として文献に残ることになる。  岡野家の先祖は小田原北条氏の評定衆であり、特に外交において秀で、内政にも名を残してい…
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