現在の相模原市田名にある水郷田名と、愛川町小沢の相模川には「高田橋」がかかるが、昭和の時代までは小沢の船渡しがあり、古くから交通の要所だった。
相模原川から見ると水郷田名の古い地名で「久所の渡し」と呼ぶ。
特に、戦国時代、小田原北条氏が相模国を統一すると、北の守りである滝山城(八王子)と小田原を結ぶ経路の1つとして重要な役割を持った。相模川から西の10村で船2艘を所有し、舟渡しを行うことを小田原北条氏から許されていた。
また、江戸幕府になってからは、相模川に橋を掛けることが禁じられた為、小沢の渡しは続き、新編相模国風土記(1840年前後)には「渡船場が相模川にあり、武蔵国八王子に行く所に、船二艘を配置。高座郡田名村と結ぶ」との記述がある。
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