カテゴリー:相模原の歴史

  • 相模原の街道

     はじめに  相模原の「道」に焦点を絞ってみました。調べると、相模原から各地に繋がる道は、太古の昔からあったことがわかります。  大山道  丹沢山地の東に位置する大山は、山岳信仰として修験者の行場で…
  • 陸軍士官学校 臨時東京第3陸軍病院 など

     陸軍士官学校    昭和12年10月、旧日本陸軍士官学校の陸上部門が市ヶ谷から座間に1300名もの生徒が移転してきた。(航空部門は所沢に移転)  昭和12年12月の第50期生卒業式に昭和天皇陛下が行幸され、この時…
  • 相模原でも生産された風船爆弾

     風船爆弾は登戸陸軍研究所で開発された。全部を相模原で生産した訳ではなく、日本全国津々浦々で生産され、東京は日本劇場、東京宝塚劇場、有楽座、浅草国際劇場、両国国技館など天井が高い演劇場でも女子挺身隊などにより生産された。…
  • 相模原周辺に墜落したアメリカ軍航空機など

     相模原近辺の高射砲部隊  調布飛行場 高射砲6門 一九〇三部隊調布隊  片倉城跡(八王子市) 高射砲  唐木田 (唐木田山王塚跡) 高射砲  町田 (玉川学園敷地内) 高射砲  湘南平(平塚) 12.7c…
  • 相模陸軍造兵廠と相模陸軍造兵廠長

     相模陸軍造兵廠  昭和13年8月13日開所式。昭和15年6月1日に相模兵器製造所から相模陸軍造兵廠に昇格した。  太平洋戦争時、旧帝国陸軍造兵廠は東京第一・東京第二・相模・名古屋・大阪・仁川・南満の7箇所にあっ…
  • 相模原 軍都計画

     相模原には現在アメリカ軍施設などがありますが、そのアメリカ軍施設がなぜできたのかを辿ると、太平洋戦争前に相模原を「軍都」とすべく計画があったことがわかります。  「星が丘」という地名は陸軍徽章の★に由来するとされ、戦…
  • 横濱鉄道(横浜鉄道)の開通 【JR横浜線】

    相模原には現在JR横浜線・相模線、小田急線、京王線の各鉄道が通り、市民の足となっていますが、その昔、市内には更に電車ができるはずでした。そんな幻の鉄道を中心にご紹介致します。   横浜鉄道の開通 横浜在住で貿易…
  • 幻に終わった相模原の鉄道 「相武電気鉄道」

    2つの鉄道敷設出願 横濱鉄道(現在の横浜線)が東神奈川~八王子間で開通するなど、明治時代に入り、東京や神奈川各地に鉄道網が敷かれ、鉄道の利便性がわかった相模原の人々は、自分たちの村にも鉄道を引こうと考えました。 …
  • 相模原の新田開発と呼ばわり山

     江戸時代後期になると、各藩や幕府の財政を立て直す為、石高を上げる施策として「新田開発」が全国で行われました。  新田開発とは、その名の通り、新しい田んぼを作って、収穫を上げることです。  水の確保が難しい相模原で新…
  • 自説・津久井に入った御家人と津久井城を築いた武士団

     1213年和田合戦で三浦一族和田氏に加担した横山党は和田氏と共に滅亡することになる。  横山党の旧領地である横山庄(現在の八王子市周辺)は、和田合戦の恩賞として、執権・北条氏の息がかかる検非違使・大江広元(おおえのひ…

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