相模原の歴史に関する情報
蓮乗院元屋敷 牧野・相模原
1285年に、蓮乗院の開祖・乗海忍性津師が寺を創設した蓮乗院元屋敷。 極楽寺を開山した忍性上人が、戦火をさけて行基作と言われる阿弥陀如来像を背負って、この牧野の地へ逗留した際に、堂ヶ尾山に草堂を営み「天徳堂」と名付けたことがはじまりとの事...
相模原の歴史に関する情報
1285年に、蓮乗院の開祖・乗海忍性津師が寺を創設した蓮乗院元屋敷。 極楽寺を開山した忍性上人が、戦火をさけて行基作と言われる阿弥陀如来像を背負って、この牧野の地へ逗留した際に、堂ヶ尾山に草堂を営み「天徳堂」と名付けたことがはじまりとの事...
相模原市の田名にある「田名氏館跡」に行って参りました。 田名氏と言うのは、源平合戦に出陣した横山党の横山時広の次男・横山広季が、棚(田名)を領地として定住し、田名二郎兵衛を名乗ったのが始まりと考えられます。 この、田名氏の居館跡は水郷田名...
相模原の「戦国ヒストリア」と称して、相模原市内の戦国時代における史跡・城などを写真と解説付きで、アクセス方法・行き方・駐車場情報・観光所要時間なども交えてご紹介させて頂きます。相模原で勉学に励んでおられる小学生や中学生の自由研究にも良いので...
927年(延長5年)にまとめられた「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)の巻九・十に記載されている相模国の延喜式内社13社の内の1社に「高座郡石楯尾神社」とある。延喜式神名帳に記載された神社は、延喜式内社または式内社といい、社格の高...
古事記・日本書紀に登場する日本武尊(ヤマトタケル)は有名で、日本各地にその伝説が残されています。 そんな、日本武尊が「相模原」にも大きく関係していた可能性があるのです。 なにぶん1700年前の事ですので、不明な点が多すぎますが、相模原に伝...
相模原の航空神社をご紹介致します。 神奈川県相模原市城山町川尻の雨降龍居山(龍籠山)(あめふらしたつごやま)にあります。 すぐ脇には、人造湖「城山湖」があり、その周囲は約90分のハイキングコースとして親しまれ、野鳥観察・撮影などなさる方で...
相模原市緑区の城山総合事務所(旧・城山町役場)の信号から、西へと下る坂があります。 大正寺久保沢観音堂に出る一方通行の坂ですね。 この坂の名前は「温泉坂」と言います。 なぜ「温泉」の坂と言う名前が付いたのかと調べて見ましたら、明治10年頃...
相模原市の津久井地区には3人の姫の伝説が残る。 南北朝時代に、鎌倉から逃れ津久井の青山の寺で病をいやし、甲州へ落ちのびていった「雛鶴姫」 串川の由来になったとされる「櫛川姫」の悲恋 武田氏滅亡の際、追っ手に追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の...
調布出身の新選組・近藤勇が、江戸または日野にいた頃、相模国高座郡上溝村(現在の相模原市中央区上溝)の名主・佐藤為彦宅を訪れたそうです。 土方歳三の姉・のぶが、日野宿で近藤勇らを支援した名主・佐藤彦五郎(佐藤俊正)に嫁いでいますので、この日...
相模原市内では恐らく一番由緒ある神社が亀ヶ池八幡宮だ。御神祭は応神天皇(おうじんてんのう)。応神天皇と言えば、第15代天皇であるが、実在性が濃厚な最古の大王(天皇)で、だいたい4世紀頃の人物だったと推測される。鎌倉時代初期には、和田義盛が八...