カテゴリー:相模原の歴史

  • 底沢峠~長者屋敷跡~堂所山烽火台

    ←白百合姫伝説と石投げ地蔵嬢が塚からの続きです  石投げ地蔵から階段を一生懸命登りまして、明王峠に戻り、次に底沢峠へと向かいました。 底沢峠  底沢峠はベンチもない、ひっそりとした峠ですが、この底沢…
  • 功雲寺と津久井城主・内藤氏の墓 訪問記・駐車場など

     津久井城からほど遠くない所にある、功雲寺(こううんじ)に行って参りました。    新編相模国風土記稿によると、功雲寺は、戦国時代の津久井城主・内藤景定(内藤左近将監景定)が、1534年3月20日卒、功雲寺の…
  • 寸嵐の首塚と首洗い池~武田信玄が三増峠の戦いで勝どきを上げる

     武田信玄が、三増峠の戦いで北条氏照らと戦ったあと、武田勢は沼本の渡しと、津久井の旧街道の2箇所から道志川を渡って「そり畑」と言う地で「勝鬨(かちどき)」を挙げました。  そして、討ち取った武将の首実験も行ったとされ、…
  • 佐藤豊成(佐藤伝左衛門豊成、佐藤傳左衛門) 北条家・津久井城主・内藤綱秀の家臣

     豊臣秀吉が小田原攻めをした時の事です。  佐藤豊成(佐藤伝左衛門豊成、佐藤傳左衛門)は、津久井衆の井上源三郎と共に、1590年4月17日、白根の戦い(白根合戦)※伊勢原市で戦功があり、津久井城主・内藤綱秀から感状を受…
  • 矢部八幡神社(箭幹八幡宮)と小山田高家のなぞ

     矢部町にある「箭幹八幡宮(矢部八幡神社)」の御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)です。  八幡神社の総本宮は、大分県の宇佐神宮です。  八幡神社と言うものは各地にありますが、その理由は、大和朝廷が東日本の各地を…
  • 青野原関所跡 相模原

     皆様、相模原にも「関所」があったことご存知ですか?  道志道(現在の国道413号)は、甲州街道の裏街道ですが、江戸時代の時は富士講と言う、富士登山の一行も、結構多く通行したため、青根原や青野辺りは、結構賑わったよ…
  • 首塚(富士塚) 津久井城落城の際に北条勢の首を祀った地

     1590年、津久井城が落城した際、北条家の家臣らの首を埋葬したのがこの「富士塚」とされる。  なお、案内板には徳川勢の平岩主税が津久井城を落城させたと言うが、実際には、徳川勢の本多忠勝、平岩親吉、戸田忠次、鳥…
  • 丸山城と横溝五郎太夫 上溝にあった相模原の城伝説

     相模原市上溝中学校の場所に「丸山城」があり、その城主が横山と呼ばれたと言う説もあります。  そうです。バナナマンの日村勇紀さんが、テニス部の部長をやっていた上中ですね。    丸山城は横溝五郎太夫なる…
  • 蓮乗院元屋敷 牧野・相模原

     1285年に、蓮乗院の開祖・乗海忍性津師が寺を創設した蓮乗院元屋敷。  極楽寺を開山した忍性上人が、戦火をさけて行基作と言われる阿弥陀如来像を背負って、この牧野の地へ逗留した際に、堂ヶ尾山に草堂を営み「天徳堂…
  • 田名氏館跡 相模原における鎌倉武士の館跡

     相模原市の田名にある「田名氏館跡」に行って参りました。  田名氏と言うのは、源平合戦に出陣した横山党の横山時広の次男・横山広季が、棚(田名)を領地として定住し、田名二郎兵衛を名乗ったのが始まりと考えられます。 …

ページ上部へ戻る