内藤氏・青山氏の転封後の江戸時代相模原領主

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 江戸時代 内藤氏・青山氏の転封後

 内藤氏・青山氏の転封後には、その領地は1615年~1623年頃、一時、幕府直轄領となった。相模原市域の直轄領は、代官・守屋行広(守屋定佐太夫行広)が支配した。守屋氏については、津久井城のコーナーで触れている。

 相模川沿いの直轄領は、1627年に徳川忠長(松平忠長)の領地となり、代官には家臣の平岡吉道(平岡岡右衛門吉道)(ひらおかおかえもんよしみち)が入った。平岡吉道は、新戸の長松寺を復興させ、当麻宿の市場復活にも尽力したが、1632年徳川忠長が改易されると再び直轄領となり、守屋行吉(守屋定佐太夫行吉)が代官となった。

 その後、1633年に松平信綱の領地となると、郡方として田中与左衛門が支配した。1639年松平信綱が忍城30000石から河越城60000石になった際、再び直轄地となり、守屋行吉が再び代官となった。その後、1647年、増山正利の所領となった。

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