鷹取山烽火台への登城チャレンジ

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 鷹取山烽火台は、佐野川と上野原の間にある標高472mの峰で、郡内を治めていた武田家臣・小山田信茂が築き、北条家との国境を監視したと考えられています。
 すなわち、この辺りが、戦国時代の武田家と北条家の国境となる訳でして、今でも、神奈川県と山梨県の県境が近いです。

 
 上野原にほど近い、相模原市の藤野町佐野川の鷹取山(472m)に烽火台かあった模様です。

 頂上はこじんまりしており鐘撞堂跡と呼ばれています。
 烽火台の事を鐘撞と称するのは甲斐の武田に多い表現ですので、恐らく、武田勢の北条に対して最前線哨戒基地だったのでしょう。 

 鷹取山烽火台

 上記写真の左の峰が鷹取山烽火台です。
 津久井にある一連の烽火台の中で、裏丹沢の鐘撞山烽火台に次いで、甲斐国に一番近く「新編相模風土記」では「鷹取山 山名の起こりは審らかならず。頂上に鐘撞堂跡と唱ふる所在り。
 村民伝え説く。永禄(1558~1570年)・天正の頃武田家の所領せし時、小山田左兵衛尉信茂(小山田信茂)命を承りて不慮の警備に洪鐘を是山の頂に懸けて合図をなせし所なりと云ふ。」とあります。

 また「津久井県地誌捜索御用筆記」にも「鐘撞堂跡、佐野川村小名トドリ山上に有り」と記されています。

 武田家臣・小山田信茂の手勢が守備したと言い伝えとなっていますが、実際には小山田氏とも関係ある上野原を治めていた加藤氏が担当した烽火台だったのではないでしょうか?
 のろし火をあげて上野原鶴島の御前山砦、大月の岩殿山城へ合図しました。

 山頂からは間山と嵐山、そして津久井城が眺望でき、鷹取山の山麓にある下岩地区は、案下峠(和田峠)からの甲州裏街道の重要な中継地点で、甲州街道も含めた敵の動きを察知する役割も果したと考えられます。




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鷹取山への登山報告

 さて、鷹取山に登って参りました。
 藤野駅方面からも登って行けるのですが、片道2時間掛かりますので、北側の沢井入口バス停付近から登りました。

 鷹取山への登山口

 上記の通り、登山口(標高313m地点)の支柱が建っていたのですが、登山道は「草」で覆われていてわからず、隣の資材置き場?の方に最初入ってしまいました。
 戻ってみて、改めて支柱を良く見ると、草に隠れて、細い階段があるのが分かりまして、登り始めた次第です。

 鷹取山登山道

 登り始めて森に入ると、登山道はハッキリしていましたので、安心してどんどん登って行きます。

 鷹取山登山道の洞

 登り始めて5分くらいでしょうか?「祠」が見えてきました。標高は380m。
 道は1本しかありませんので、迷う事はないのですが、かなりキツイ登りです。

 鷹取山登山道の巨石

 登り坂なので息が切れますが、途中、岩も見えてきました。
 恐らくは古来より皆がここで休憩したものと推測致します。
 あっ、毎度ですが、各写真はクリックすると拡大致します。

 鷹取山登山道

 おっ、頂上が見えてきたかな?と思い進みましたが、なんと登って降りての繰り返しが3回程あります。
 私の一番嫌いなパターンです。せっかく標高を稼いでも、また下がってしまうのですからね。

 鷹取山登山道

 上記は最後の急坂です。
 坂は階段にはなっていない、斜め道ですので、アキレス腱が伸びて、足の疲労度が増していきます。

 鷹取山

 ようやく鷹取山の山頂に到着致しました。
 登山口から登り20分といったところです。

 鷹取山烽火台

 「鐘」も設置されています。クマ除けも兼ねてポールで叩いてみたら、良い音が響きましたよ~。
 登山道も含めて、ベンチやトレイはありません。
 また、木々の葉で展望も余りよくありませんでしたが、陣馬山方面や嵐山方面も見えると思います。
 展望も楽しみたいのであれば、葉が落ちた冬季に登るしかありません。

 鷹取山烽火台

 登山口の標高が313mでしたので、472mまで約160mを20分で登ると言う経路でした。
 これで相模原市内の烽火台巡りもすべて完了致しました。
 帰りは約15分で下山できましたが、トレッキングポールを使用しているにも関わらず、途中、4回も足が滑りました。
 これは、一連の登山で最高記録です。それだけ、自然そのままの登山道と言う事です。

 これで、約6ヶ月の月日をかけて行って参りました、相模原市の烽火台(煙火台)巡りですが、すべて写真を撮りまして、当初の目標分はすべて訪問致しました。
 もしかしたら、相模原の戦国時代に関する史跡で、足りない箇所があるかもしれません。
 その時は、コッソリとコメント欄より教えて頂けますと幸いです。

 上野原から甲府に掛けても、武田勢が設けた烽火台があるのですが、この数がまた20以上はあります。
 相模原市内と言う枠から外れて、更に拡張訪問したいと気持ちもあるのですが、神奈川県側と異なり、登山道が廃れて危険な場合もあり、山頂部も木々が茂っていて展望もきかない恐れもあり、登頂はやめておこうと思います。
 しかし、機会があれば、遠景だけでも撮影しようかな?とも考えております。
 ただ、どの山に烽火台があったのか、詳しい情報もないので、まずは情報収集からと言う事になりますが、他の課題もたくさんありますので、時間も無いのが現実です。

 さて、鷹取山への登山はそれなりの装備が必要です。
 最低限、トレッキングポールと、軽登山(ハイキング)用の靴があると良いでしょう。
 この装備が無いと、帰りに転ぶのは必須です。
 私が山の城攻めを行う際の装備としては、こちらのページをご参照願います。

 鷹取山への登山口は下記の地図ポイント地点となります。
 沢井入口バス停からは登り坂で、徒歩約10分で登山口です。
 残念ながら駐車場は無く、付近にも止められそうなスペースはありません。
 ※当方は今回に限り、バイクで行きました。

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