カテゴリー: 相模国の歴史

相模原の江戸時代 (2) 上溝・下溝

上溝・下溝 1590年当時は、約5000石を領した青山忠成(1551年9月6日~1613年4月10日)の1領地となる。他には、今泉村(海老名市)、小稲葉村(伊勢原市)、城所村(平塚市)などを領した。 青山忠成は三河国額田郡百々村(現在の愛知...

白百合姫伝説を検証

 前頁では「白百合姫」に関する伝説をご紹介させて頂きましたが、2つの伝説を検証してみます。 まず後者の明王峠近くの長者屋敷の姫の件ですが、当初、どのような人物なのか、全くわかりませんでした。関連して、重方と言う名の武将がいたとの話もありまし...

白百合姫伝説と石投げ地蔵嬢が塚 (石投地蔵嬢ヶ塚)

津久井三姫物語でもご紹介致しておりますが、津久井には姫にまつわる伝説がいくつかあります。相模原市の白百合姫に関するご紹介です。陣馬山近くの明王峠には甲斐・武田家が武運を祈願したという不動明王があります。下記写真がそうです。その明王峠から南の...

神の川に身を投じた折花姫・相模原のお姫様伝説

戦国の世にさる国から追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の川に身を投じた折花姫 武田家臣としては戦陣での使番であるムカデ衆(大百足差物衆)の武将であった小山田行村(小山田八左衛門尉行村、小山田八左衛門、小山田彦之丞)は、武田氏滅亡の折、小山田信茂...

串川の由来でもある櫛川姫の悲しい恋の伝説

津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。川の下流には横笛を好む若者がおり、その若者は毎晩岸辺に立って笛を吹いていたが、ある月夜の晩、若者は足の向くままに川上へと笛を吹いて行った。「川の上の方には何が...

又野城(又野城山) 津久井の謎の城を特定してみた

 相模原市の津久井城に近い津久井又野に城山(245m)と呼ばれる場所があります。 又野城山とも呼ばれます。 天然の要害地形であり、相模川と道志川の合流点である沼本の渡しから三ヶ木へと津久井街道を登ってくる敵を高所から迎撃できる有利な防衛線陣...