カテゴリー:相模国の歴史

  • 震度7の元禄地震と富士山噴火~神様として祀られた伊奈忠順

    江戸時代の1703年12月31日(新暦)に、マグニチュード7.9~8.2と推定される元禄大地震が発生。 三浦半島と房総半島の一部は隆起。 小田原で震度7と推定され、小田原城下の被害がもっとも多く、小田原城天守閣も倒壊…
  • 4代将軍に終身仕えた久世広之

     1659年、増山正利の後に相模原の領地を受け継いだのは久世広之(1609~1679)であった。  久世広之の父・久世広宣は今川義元→徳川家康と仕えた戦国時代の武将で、下総・上総国2500石の旗本になっていた。 …
  • 4代将軍と親戚になった増山正利

     増山正利(1623年~1662年)を語る前に、お楽の方(高島御前、宝樹院)を知って頂きたい。  お楽の父・青木三太郎利長は旗本・朝倉家に仕える下級武士であったが、主君の金を使い込み、禁猟だった鶴を撃ち死罪となった…
  • 徳川忠長の相模原領地を継いだ老中・松平信綱

     松平信綱(1596年10月3日~1662年3月16日)の父は大河内久綱。叔父である松平正綱の養子となり、松平姓を称す。幼少の頃より才知に富んでおり、1604年徳川家光の小姓となる。  1627年1月5日10000…
  • 徳川忠長 相模原の一部も知行していた将軍の弟

    将軍争いに敗れた徳川忠長 徳川忠長(1606年~1633年)は徳川幕府二代将軍・徳川秀忠と正室・お江与の間に生まれた男児で、3男にあたる。 お江与は、浅井長政とお市(織田信長の妹)の間に生まれた三女で、姉は茶々=…
  • 内藤氏・青山氏の転封後の江戸時代相模原領主

     江戸時代 内藤氏・青山氏の転封後  内藤氏・青山氏の転封後には、その領地は1615年~1623年頃、一時、幕府直轄領となった。相模原市域の直轄領は、代官・守屋行広(守屋定佐太夫行広)が支配した。守屋氏については、…
  • 淵野辺を幕末まで知行した旗本・岡野氏

    淵野辺は1590年当初、徳川家の直轄地だったが、関ヶ原の戦い以降、岡野氏が淵野辺を所領とした人物として文献に残ることになる。 岡野家の先祖は小田原北条氏の評定衆であり、特に外交において秀で、内政にも名を残している有名な…
  • 相模原の江戸時代 (6) 目まぐるしく変わった領主

    これまで、全5ページに渡り、相模原市内各地の街の江戸時代について触れてきたが、幕末まで相模原各地の支配者が固定した訳ではなく、改易などで、相模原市内の各地も支配者がめまぐるしく変わることになる。 大半の領主は本貫地…
  • 相模原の江戸時代 (5) 相原・矢部・淵野辺・鵜野森

    相原・矢部・淵野辺 徳川家康関東移封の1590年当時は、徳川家の直轄地で、代官頭として彦坂元正(彦坂小刑部元正)(?~1634年)が統治した。 彦坂元正の父・彦坂光景は今川家・今川義元に仕えていたが、今川家没…
  • 相模原の江戸時代 (4) 鶴間

    鶴間 徳川家旗本の大岡義成(大岡吉重郎義成)(?~1598年)が上鶴間360石のうち300石で入る。残りの60石は徳川家直轄地。大岡氏は鶴間以外は知行しておらず、鶴間が本貫(本領)である。 のち330石に加増され…
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