相原・矢部・淵野辺
徳川家康関東移封の1590年当時は、徳川家の直轄地で、代官頭として彦坂元正(彦坂小刑部元正)(?~1634年)が統治した。
彦坂元正の父・彦坂光景は今川家・今川義元に仕えていたが、今川家没落後は父子とも徳川家康に仕え、奉行としても活躍。武田氏滅亡後の1589年には、徳川領だった三河国・遠江国・駿河国・甲斐国・信濃国の総検地を奉行として取り仕切る。江戸入府後は江戸町奉行職。関が原の戦いでは小荷駄奉行。戦後、石田三成の居城・佐和山城の引渡し、毛利氏が支配していた石見銀山の接収なども行っている。
江戸幕府になってから彦坂元正は大久保長安、伊奈忠次、長谷川長綱らと関東代官に任ぜられ、岡津(横浜市泉区)に陣屋を置いた。伊豆国の金山奉行も兼任し、特に東海道の宿場町整備などに功績を残している。
渕野辺は関が原以後、岡野氏が知行した。
鵜野森
1590年当時は、徳川家の直轄地で、直轄領管理をした代官・彦坂元正が当初統治したが、永井白元(永井弥右衛門白元、永井監物)が1596年頃、戸塚(横浜市)に330石で代官屋敷を置き、後に3530石になった際の1625年から鵜野森も知行したと考えられる。
永井白元は旗本として使番、目付役などを歴任。東海道・中山道の普請奉行、一里塚などを設置した人物である。永井氏は鵜野森を幕末まで知行した模様。