武田信玄が、三増峠の戦いで北条氏照らと戦ったあと、武田勢は沼本の渡しと、津久井の旧街道の2箇所から道志川を渡って「そり畑」と言う地で「勝鬨(かちどき)」を挙げました。
そして、討ち取った武将の首実験も行ったとされ、その場所は津久井の寸沢嵐でほぼ間違いないと考えられます。
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首洗い池
現在の国道412号近くには、敵の首を洗ったとされる「首洗い池」があります。
大きな合戦場があった古戦場には、たいていこのような首洗い池の伝承があり、三増峠の戦いでもここにあるのですが、戦いがあった三増峠は約12kmも離れて場所でして、武田信玄が背後を突かれないように、寸沢嵐まで移動してから、勝どきと首実検を行ったと言う、かなり異例な事態となっています。
首塚へのアクセス・行き方は、下記の地図ポイント地点に無料駐車場があります。
ただし、スピードも出やすい国道で、ここに入るとは後続車は思っていないので、早めにウインカーを出して入ってください。
突然、左折したり、探しながらゆっくり走ったりするのは非常に危険ですので、事故防止にご配慮を。
首塚
そして、首を埋めて供養したとされる首塚が、ちょっと離れた場所にあります。
首塚には、その後「浅間神社」があったのですが、現在は碑だけですので、地図にはのっていません。
ちょっとした高台が、首塚となる、浅間神社跡です。
いや~、しかし、ちょっとヤブになっていますので、夏季には「虫除け」必須です。
山の斜面であり、津久井城を望める事から、村人たちがここに供養したのではないかと推測致します。
上記の写真の場所から入って、フェンス沿いに右に折れて40mほど進むと、左へと山の中に入って、すぐに諏訪神社跡があります。
下記の地図ポイント地点がその道路から侵入する地点となります。
駐車場はないうえに、道路も駐車禁止ですので、近くの「Jマート」さんで買い物がてら駐車場をお借りして訪れました。