小仏城山 (城山)  小仏峠

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 相模原市の相模湖町と八王子の境に小仏峠(548m)があります。

 現在は中央本線や中央高速などが通る交通の要所ですが、戦国時代中期までは、ほとんど人が通らない峠だったようで、八王子から甲斐への交通は和田峠を使用するのが普通だったようです。

 その小仏峠から尾根伝いに南に700mほど行った峰が城山と呼ばれています。

 城山(小仏城山)の標高は670mと付近では高く、現在山頂には、NTTの無線中継所のパラボラアンテナが建っており、茶屋もあります。富士山や相模湖が見え、また晴れた日には、湘南の海を見ることができるほど展望にも優れています。

 小田原北条氏が使っていた小仏城山の頂上は広くて平らな地となっていて、鉄砲20丁、弓30丁を置いて小仏峠を守備したと伝えられています。

 小山田信茂が小仏峠を越えてから、武田勢が再び八王子に侵攻するのを防ぐ目的で、北条氏照は狼煙火台の役割以外に小仏峠の監視も強化し、尚且つ八王子城も築城しました。

 狼煙火台としては景信山、陣馬山、間山、小松城、津久井城などの連絡中継点であっと思われます。八王子城、滝山城からは、地形上の問題から狼煙火は確認できないとのようです。

 小田原北条氏の戦国時代後期、小仏峠には関所が設けられたようで、富士見関所とも呼ばれています。

 ちなみに江戸時代、小仏峠は甲州街道となり小仏関所が八王子川の甲州街道沿い駒木野に設置され、箱根関所同様重要な役割を果たしています。
 関所の営業時間(通過可能時間)は朝6時から夕方6時だったそうです。

 現在の国道20号が通る、より低い大垂水峠(389m)を超える新しい道路が1883年(明治13年)にできるまで、江戸時代富士詣でに行く江戸町人も小仏峠を越えていました。
 幕末に新選組が甲府・勝沼で新政府軍と戦った際にも、この小仏峠を越えています。

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