徳川忠長の相模原領地を継いだ老中・松平信綱

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 松平信綱(1596年10月3日~1662年3月16日)の父は大河内久綱。叔父である松平正綱の養子となり、松平姓を称す。幼少の頃より才知に富んでおり、1604年徳川家光の小姓となる。

 1627年1月5日10000石を与えられる。1632年11月18日老中並。

 1633年3月23日、松平信綱・阿部忠秋・堀田正盛・三浦正次・太田資宗・阿部重次が六人衆となる(後年の若年寄に相当)。

 1633年5月5日老中に就任し、忍藩(埼玉県行田市)30000石を封ぜられる。

 1637年~1638年には島原の乱の鎮圧のため、九州に赴く。
 
 1638年11月7日老中首座。

 1639年1月5日、川越藩60000石に転封。川越街道や城下町の整備、野火止用水の開削などに手腕を発揮している。

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