相模原市の田名にある「田名氏館跡」に行って参りました。
田名氏と言うのは、源平合戦に出陣した横山党の横山時広の次男・横山広季が、棚(田名)を領地として定住し、田名二郎兵衛を名乗ったのが始まりと考えられます。
この、田名氏の居館跡は水郷田名ではなく、相模川の河岸段丘を上がった田名の堀之内にあったと推定されています。
しかし、具体的にココだと、館があった場所は特定できていません。
田名消防署を建設する際に発掘調査もしましたが、平安期の集落跡が出たものの、館と特定できるものは見つからなかったと言う事です。
余り知られていないのが残念なのですが、田名には「相模田名民俗資料館」がありますので、その駐車場を感謝しつつ拝借させて頂き、付近を散策させて頂きました。
田名小前の信号から、旧道にそれますと「でいの坂」と古くから呼ばれる坂があり、そのちょっとした断崖は竹林になっているなど、良い雰囲気です。
現在ある県道44号は新しい道ですので、田名館跡を特定するのに、県道は考えない方が良いでしょうが、このでいの坂は昔からあったことでしょう。
この付近には、御蔵屋敷、曽根御蔵屋敷と称される地名が残っていますが、それもどこなのかはわかりません。
なお「堀之内」と言う地元の地名から、館は「堀」に囲まれていたと推測できます。
この堀之内と言う地名は、全国的にたくさんあります。
例えば、相模原の近くですと、京王相模原線の「京王堀之内駅」にもその名が見られますね。
この堀之内と言う地名は、そこに昔、堀を巡らした「館」があったと言う事なのです。
上記はその「でい坂」から西に入ったところ、民俗資料館への入口にある「池」です。
単なる池ではありませんで、ここに「湧水」が湧いており、その池の北側は「崖」になっています。
池の崖の上は上記写真のように公園になっていました。
大杉公園と言います。その昔は、田名小学校の前身である覚明学舎や、田名村役場があった所だそうです。
ここ、発掘調査したのか分かりませんが、掘れば何か出て来そうな気がする場所です。
その公園の南側は、上記写真のような、ちょっとした崖になっています。
前述しましたとおり「堀」があった館跡と言う事を考慮しますと、崖の脇にある「池」は外せません。
地形が分かる地図で見ますと、この大杉公園の場所は、ちょっとだけですが、突き出た台地になっており、そこに「池」があるのです。
池は「水の手」ですので、特に籠城するかも知れない「武士の館」には必要不可欠な事からも、緩い崖のうえにある「大杉公園」こそが、田名氏館の場所であったと推測できます。
戦国時代に入ると、北条家家臣となった江成家などの館もあったことでしょう。
下記地図のポイント地点は、田名民俗資料館手前の「池」がある付近です。
資料館を見学しつつ付近を散策してみると良いでしょう。