津久井の折花姫伝説にまつわる話として、その伝承が本当であったとの実証とも言える、小山田八左衛門行村の墓をお参り致しました。
この小山田行村(小山田八左衛門行村、小山田八左衛門尉行村、小山田彦之丞)は、小山田信茂の従弟(小山田有信の5男)とされています。
武田信玄が小田原城を包囲した際、酒匂川が増水したため、瀬踏を初鹿野伝右衛門と一緒に担当したとされ、武田信玄の旗本や使番12人の1人ムカデ衆(大百足差物衆)として活躍したようです。
武田勝頼の時代には小山田信茂と共に重臣であったようで、織田信長による甲斐攻めの際に、残党狩りから逃れてきたと考えられます。
織田勢が攻めてきた際には、岩殿山城に小山田行村が城代として入っていたともされています。
恐らくは、秋川か藤野から上記写真の菅井の里を経て、伏馬田城の下を経由し、道志川を渡ったようでして、その川越の際に、織田・徳川勢の鉄砲により1582年4月9日に狙撃されたとされています。
その後、里人の手によってこの地に弔られました。法名は勇心良誉信士です。
なお、この小山田行村に同行していたと考えられるのが、小山田家の娘・折花姫と、翁・姥の一行です。
一行は、更に青野を経由して丹沢方面にと逃れましたが、途中で翁と姥は討死し、折花姫も自害したのですね。
それが「折花宮」です。
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ただし、小山田信茂が甲斐善光寺で処刑された際に、小山田行村も処刑されたと言う説もあり、折花姫に同行していたのか、また折花姫じたいが小山田氏の一族なのか、そもそもそんな事実は無かったのか?
まったく不明と言わざるを得ません。
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小山田八左衛門行村の墓の場所
藤野や仁の丘に行く際、ここの道は30年前から知っており、何度も通過したことがあったのですが、こんな所に小山田行村の墓があったとは思ってもいませんでした。
国道413号から伏馬田の集落に繋がる坂道の途中に、上記写真の墓への登り口があります。
道路わきの階段を登ると、すぐに墓がありました。
行き方・アクセスですが、下記の地図ポイント地点が、その場所です。
駐車場はありません。
→相模原の戦国時代ヒストリア
→折花姫伝説
→武田氏滅亡と武田勝頼・天目山の戦いと小山田氏滅亡
→小山田記~ 現認・小山田氏400年の存亡【小山田氏関連の考察とまとめ】
→大河ドラマ「真田丸」の出演者キャスト
→関東や神奈川県の城跡などのオリジナル地図