阿部正喬(1672年4月28日~1750年7月26日)は、武蔵・忍藩主で老中も勤めた阿部正武の長男。
1699年9月28日奏者番兼寺社奉行。1704年10月29日忍藩相続。奏者番、寺社奉行辞任。
6代将軍徳川家宣の時、1711年4月11日老中就任。老中在任中は正徳金銀鋳造の総奉行(1714年~ )、ならびに家継と八十宮吉子内親王(霊元法皇の姫)の婚姻の総奉行(1716年)を担当している。
享保の改革の直前1717年 9月19日老中辞任。その後30年以上は藩政に専念する。
阿部正喬の頃から忍藩は財政難に見舞われ、1742年8月2日には江戸期を通じて最大の利根川と荒川が決壊があり、忍藩領100000石のうち60000石が収穫不可になる災害を受け、幕府より10000両を拝借している。
1748年隠居し、1750年79歳で死去。
いつ頃からかは不明だが、久世氏の後、下溝・当麻・新戸・磯部を領した。