神奈川県相模原市南区磯部1780他 地図
太古の昔からの自然の湧き水(湧水)もある遺跡公園
最初に申し上げておくが、いわゆる「遊具」はありません。
2010年4月に竪穴住居1軒、敷石住居1軒を復元した縄文遺跡公園として開園。
短めの草類が生えた広い土地なため、一見ボール遊びなどができそうだが、遊びではなく歴史を学び、感じ取る公園。大変貴重な復元住居があるので、是非1度は訪れて欲しい。
勝坂遺跡公園クチコミ情報
勝坂遺跡は日本における縄文時代中期(約5000年前頃)を代表する大集落跡で、中部地方・関東地方の「標識遺跡」になっている。
遺跡からは多くの土器や打製石斧が発掘され、縄文時代にすでに農耕が開始されていた可能性も考えられている。装飾的な文様や顔面把手(顔を表現した取っ手)などの特徴を持つ土器には「勝坂式土器」と名づけられ、関東の多くの遺跡にて同様の土器も発見されている。
勝坂遺跡は最初の大正15年に発掘・調査が行われたA区からF区まであり、縄文時代の生活跡が比較的広範囲で見つかっている。そのうち、最も広い敷地として発掘・調査された「D区」は、調査後に遺構を保存するため、遺跡に土をかぶせて、広場としていたのだが、その勝坂遺跡D区が勝坂遺跡公園として新たに整備された。
勝坂遺跡は相模川によって形成された河岸段丘上に立地し、西側の段丘の下(D区の下)には鳩川が流れている。また、段丘崖(D区)には現在でも湧水があり、古くから信仰があったと考えられる有賀神社の祠も存在する。
現地を訪れてわかったことだが、なるほど、台地は太陽光線が注ぐ南側に面しており、東の台地に上がれば、鹿・イノシシ・ウサギなどの狩猟もできただろうし、磯部方面ではコメを生産していたかも知れない。更に相模川まで足を伸ばせば漁もできただろう。遺跡のある横の鳩川付近(有鹿神社の奥宮付近)では、自然の湧水もあるので、水にも困らない。これほど生活に適した場所は、そうそうない。
勝坂遺跡で発掘された土器類は、市立相模原博物館にて展示されており、無料で見ることができる。
なお、最初に勝坂遺跡の発掘調査を行ったのは1926年(大正15年)で、大山柏が行っている。大山柏の父は、日露戦争・満州軍総司令官だった大山巌。
そして、大山柏の母は、会津藩家老・→山川大蔵(山川浩)の妹・山川咲子(山川捨松)なのだ。
勝坂遺跡の詳細は→ 相模原の歴史シリーズの→ 縄文時代にて詳しく解説しているので、ここでは省かせて頂く。
市販されている地図に記載されている「勝坂遺跡公園」の場所と、住居が復元されていてる新しい史跡勝坂遺跡公園とは離れているので「→ 地図」を見て出かけて欲しい。
靴はスニーカーなど歩きやすい靴が良い。夏は虫除け・紫外線対策を。
印象 | 縄文時代の住居が復元されている史跡 |
遊べる度 | 最低目安10分、最長目安30分以上 |
利用料 | 入園無料 |
駐車場 | 無料 約20台 朝8:30~夕方17:00 |
お休み | 12月29日から1月3日 |
時間 | 復元住居内部の公開は 毎週水~日曜の朝9:00~夕方16:00まで |
お店・売店 | なし |
トイレ | 管理棟にあり |
公式サイト | 史跡勝坂遺跡公園 (相模原市) |
復元された縄文時代の住居。
建物内部にも入って見学ができる。
発掘跡はこのように土が戻されて、保存された状態になっているので、広すぎる・・。