烽火(のろし、ほうか)・狼煙(のしろ、ろうえん)と呼びます。(下図は烽火台)
日本では戦国時代に発達した、敵の来襲を急ぎ知らせる為の通信手段の1つです。
中国では紀元前200年頃シルクロードに設置され、イギリスでも16世紀頃スペイン無敵艦隊の来襲を烽火で知らせたと言いますが、日本・中国・イギリス以外ではあまり用いられることはなかったようです。
日本では古くは弥生時代から飛鳥時代と使われましたが、800年頃より一時すたれます。その後、戦国時代に入ると山岳地帯を中心に非常に発達しました。特に武田信玄が用いた事は有名で、敵来襲の知らせだけでなく、出陣の合図、攻撃開始の合図などにも使われたようです。
遠くに連絡する為、監視用の常設狼煙台の多くは見通しの良い川沿い(道沿い)の山頂に設置され、数人から数十人が警護・監視に当たった模様です。
薪(たきぎ)や火薬などを用いて高く煙(けむり)を上げる方法と、夜間などには大きな火玉の明かりで知らせる方法、鐘(かね)をついて音で知らせる方法などがあったようです。
近年の実験では、1時間に200キロ程度は伝わったようで、簡単に言うと時速200kmの通信手段で、人馬を走らせて知らせるより早く急報できた訳です。もちろん、事の詳細は馬を走らせて知らせていました。
現在は交通網が発達し、無線・電話などの通信手段もありますので、一見「煙」を用いる通信手段はないと思われがちですが「知らせる」と言う目的においては、車の発炎筒、海難救助用の信号弾、火事が起きた時の火の見やぐらの鐘など、現在でも煙や火・鐘を用いる方法が採用されており、現在でも有効な緊急連絡手段と言えます。
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