東海大相模(東海大学付属相模高等学校)が、2015年夏の甲子園「高校野球」(第97回全国高校野球選手権大会)で、見事「優勝」致しました。
補欠の方も含めた選手の皆様、生徒さん監督・コーチなど学校関係者の皆様、そしてOBなど市民の皆様、そして東海大相模のファンの皆様、おめでとうございます。
サウスポーの小笠原慎之介投手を擁する東海大相模は、神奈川県大会も、県立相模原高校と共に「第1シード」で順調に勝ち抜いて優勝し、2年連続で甲子園に出場しました。
小笠原慎之介投手が投げるコントロールも良い速球は、甲子園では大会No1ピッチャーとも称されました。
甲子園に出場するため関西に赴くと、OBの巨人・原監督から宿舎(大阪ガーデンパレス)に差し入れされた「串カツ」が出されたと言います。
しかし、食事にも気を使い、大事な試合を控えて油っこい物の摂取を控えていた選手たちですので、ベンチ組以外は「ころも」を取って頂いたそうです。
甲子園での決勝戦は、東北勢初優勝を目指す仙台育英と対戦しましたが、初回から打線が爆発。
その後、不要な場面でスクイズに失敗して、東海大相模は流れを失いました。
そして、小笠原慎之介投手も強力な仙台育英打線に捕まり、途中、6-6の同点に追いつかれました。
5回以降、流れは仙台育英に有利でしたが、8回裏のインコース・ストライクゾーンのボールに対して、故意に身体を当ててデットボールに見せかけたあのプレイ。
しっかり見ていた主審のストライクで三振の判定は見事でしたが、あの偽装デッドボールにて、仙台育英は流れと言う神様に見放されました。
仙台育英のファンの方は、誤審だなどと怒っている方もおられるようですが、バッターは明らかに、バッターボックスのベース寄りギリギリに立っおります。
その前にも足元に来たボールに対してもデットボールをアピールしており、認められずにいます。
元々「当たりの○○」などと呼ばれている選手とのことですが、コースはスロー再生を見てもストライクでしたので、三振です。
※カメラ映像だけではボールに見えますが、甲子園は元々カメラがホームペースの真上に設置はできません。ドームではないですからね。また、遠近法で、ベースから離れているように映像では見えてしまいます。
あのプレーは残念ながらスポーツマンらしからぬだけでなく、決勝戦にも相応しくなく、頂けません。
仙台育英の監督さんは、抗議を控えましたが、当然ですね。
しかし、このようなプレーは流れを変えますので、こんな事をしなければ、仙台育英が優勝していたかも知れません。
チェンジした9回表に9番バッターの小笠原選手が自ら初球をライトスタンドへ叩き込み、東海大相模が7-6と勝ち越し。
小笠原選手は3年間の高校生活での公式戦で初ホームランとの事です。
そして、更に3番・杉崎選手と、4番・豊田選手のヒットで追加点と、ライト犠牲フライのタッチアップ(ライトの怠慢プレー?)で2塁ランナーがなんと3塁も廻って生還するなど、一気に9回に一挙4点をあげ10-6。
決勝戦にて東海大相模は15本のヒットを打ち、打撃戦を制して見事優勝しました。
あまり、流れとか信じている訳ではありませんが、高校野球は、本当に流れを掴んだ方が勝ちだと思わされる試合でした。
スコアは45年前に優勝した時と同じ、10-6で、優勝した日も同じ8月20日との事です。
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東海大相模の監督さんは積極的に動く・仕掛ける方針でして、決勝戦でなくても不必要なバント、バント失敗、スクイズ失敗など、みすみすチャンスを潰す事が多く、いつも気になっていたのですが、選手たちは監督を信じてあきらめずに頑張り、その期待に見事に答えたと思います。
8回表までは仙台育英の選手も随所で素晴らしいプレーを見せ、決勝戦に相応しい、非常に良い試合でした。
東海大相模にとって、夏の大会での優勝は1970年の第52回全国高等学校野球選手権大会(原貢監督)以来で、45年振り2度目となります。
※春の選抜は2回優勝あり。
今年は記念すべき、高校野球が誕生して100年にあたる年でした。
神奈川県から出場した甲子園夏の大会優勝はこれで7回となり、新たな歴史を刻みました。
東海大相模の皆様、おめでとうございました。(^^)
ゆっくり、残りの夏休み、満喫できる事を願うばかりです。
そして、大学受験など頑張ってください。
仙台育英の選手も、8回まで東海大相模を苦しめる良いプレーでした。
栄誉を称えたいと存じます。
昔、東海大相模が優勝した際には、相模原市役所からパレードしたようです。
今回もパレードが開催されるようでしたら、情報配信させて頂きたいと存じております。