青野原関所跡 相模原
皆様、相模原にも「関所」があったことご存知ですか? 道志道(現在の国道413号)は、甲州街道の裏街道ですが、江戸時代の時は富士講と言う、富士登山の一行も、結構多く通行したため、青根原や青野辺りは、結構賑わったようです。 そして、その青野原...
皆様、相模原にも「関所」があったことご存知ですか? 道志道(現在の国道413号)は、甲州街道の裏街道ですが、江戸時代の時は富士講と言う、富士登山の一行も、結構多く通行したため、青根原や青野辺りは、結構賑わったようです。 そして、その青野原...
1590年、津久井城が落城した際、北条家の家臣らの首を埋葬したのがこの「富士塚」とされる。 なお、案内板には徳川勢の平岩主税が津久井城を落城させたと言うが、実際には、徳川勢の本多忠勝、平岩親吉、戸田忠次、鳥居元忠、松平康貞らが11000~...
相模原の「戦国ヒストリア」と称して、相模原市内の戦国時代における史跡・城などを写真と解説付きで、アクセス方法・行き方・駐車場情報・観光所要時間なども交えてご紹介させて頂きます。相模原で勉学に励んでおられる小学生や中学生の自由研究にも良いので...
927年(延長5年)にまとめられた「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)の巻九・十に記載されている相模国の延喜式内社13社の内の1社に「高座郡石楯尾神社」とある。延喜式神名帳に記載された神社は、延喜式内社または式内社といい、社格の高...
相模原市の津久井地区には3人の姫の伝説が残る。 南北朝時代に、鎌倉から逃れ津久井の青山の寺で病をいやし、甲州へ落ちのびていった「雛鶴姫」 串川の由来になったとされる「櫛川姫」の悲恋 武田氏滅亡の際、追っ手に追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の...
毎年恒例となって参りましたが、今年も相模原で「熊」の目撃情報が届いております。上部から新しい情報、下部には古い情報として更新・掲載させて頂いております。クマに出あってしまった場合にはあわてて急に立ち上がらない。大声をあげて騒がない。物を投げ...
前頁では「白百合姫」に関する伝説をご紹介させて頂きましたが、2つの伝説を検証してみます。 まず後者の明王峠近くの長者屋敷の姫の件ですが、当初、どのような人物なのか、全くわかりませんでした。関連して、重方と言う名の武将がいたとの話もありまし...
津久井三姫物語でもご紹介致しておりますが、津久井には姫にまつわる伝説がいくつかあります。相模原市の白百合姫に関するご紹介です。陣馬山近くの明王峠には甲斐・武田家が武運を祈願したという不動明王があります。下記写真がそうです。その明王峠から南の...
戦国の世にさる国から追われ、丹沢山塊の麓を流れる神の川に身を投じた折花姫 武田家臣としては戦陣での使番であるムカデ衆(大百足差物衆)の武将であった小山田行村(小山田八左衛門尉行村、小山田八左衛門、小山田彦之丞)は、武田氏滅亡の折、小山田信茂...
津久井城に近い場所に鳥屋と言う村があり、その村の真ん中をゆうゆうと川が流れていた。川の下流には横笛を好む若者がおり、その若者は毎晩岸辺に立って笛を吹いていたが、ある月夜の晩、若者は足の向くままに川上へと笛を吹いて行った。「川の上の方には何が...