内藤氏・青山氏の転封後の江戸時代相模原領主
江戸時代 内藤氏・青山氏の転封後 内藤氏・青山氏の転封後には、その領地は1615年~1623年頃、一時、幕府直轄領となった。相模原市域の直轄領は、代官・守屋行広(守屋定佐太夫行広)が支配した。守屋氏については、津久井城のコーナーで触れてい...
江戸時代 内藤氏・青山氏の転封後 内藤氏・青山氏の転封後には、その領地は1615年~1623年頃、一時、幕府直轄領となった。相模原市域の直轄領は、代官・守屋行広(守屋定佐太夫行広)が支配した。守屋氏については、津久井城のコーナーで触れてい...
これまで、全5ページに渡り、相模原市内各地の街の江戸時代について触れてきたが、幕末まで相模原各地の支配者が固定した訳ではなく、改易などで、相模原市内の各地も支配者がめまぐるしく変わることになる。大半の領主は本貫地(本領地)が別の土地(藩など...
相原・矢部・淵野辺徳川家康関東移封の1590年当時は、徳川家の直轄地で、代官頭として彦坂元正(彦坂小刑部元正)(?~1634年)が統治した。彦坂元正の父・彦坂光景は今川家・今川義元に仕えていたが、今川家没落後は父子とも徳川家康に仕え、奉行と...
鶴間徳川家旗本の大岡義成(大岡吉重郎義成)(?~1598年)が上鶴間360石のうち300石で入る。残りの60石は徳川家直轄地。大岡氏は鶴間以外は知行しておらず、鶴間が本貫(本領)である。のち330石に加増された大岡氏は「矢口」を中心に江戸末...
下九沢 1698年からは、佐野勝由(佐野信濃守勝由)と、加藤明教(加藤三左衛門明教)の2人が下九沢を分割知行して幕末に至った。 加藤氏は、書院番を勤め、所領は下野国都賀郡内の6村が中心で、相模国では4村のうち、1つがこの下九沢52石であっ...
上溝・下溝 1590年当時は、約5000石を領した青山忠成(1551年9月6日~1613年4月10日)の1領地となる。他には、今泉村(海老名市)、小稲葉村(伊勢原市)、城所村(平塚市)などを領した。 青山忠成は三河国額田郡百々村(現在の愛知...
1590年小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入ると、相模国も徳川家を中心に知行された。その後、1700年代後半まで約200年間、相模原も領主が目まぐるしく変わる時代が続いた。 まずは徳川家康が関東に入った1590年からの相模原をご紹介...
阿部正喬(1672年4月28日~1750年7月26日)は、武蔵・忍藩主で老中も勤めた阿部正武の長男。 1699年9月28日奏者番兼寺社奉行。1704年10月29日忍藩相続。奏者番、寺社奉行辞任。 6代将軍徳川家宣の時、1711年4月11日...