陣馬山の陣~陣馬山烽火台と和田峠通行止情報

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和田峠の通行止情報

 和田峠の西側にあたる、神奈川県側(佐野川~和田峠)が土砂災害により通行止になっておりましたが、2015年12月初旬に通行止は解除された模様です。
 相模原市の通行止情報からも和田峠の記載が無くなりました。

 

和田峠

 さて、相模原の戦国時代史跡一覧の完成を目指して、難関の1つである「陣馬山」と「堂所山」などをようやく訪問して参りました。
 和田峠の有料駐車場まで車で行きまして、そこから陣馬山にに上がり、堂所山などへ行って、戻って来る計画です。
 3部構成にしており、その最後のページに、実際の行程と所要時間なども記載しておきたいと存じます。

 

 和田峠を目指して、陣馬街道を登って行きます。
 和田峠までは完全に舗装されていますが、途中から道が狭くなって、ほぼ1~1.5車線となります。
 すれ違いはもちろん、登り優先です。
 ハイカーの方も歩いていますので、運転にはご注意ください。

  

 最後の方はかなりの急坂を登って和田峠に到着です。
 案下峠(現在の和田峠)は、小仏峠を越える甲州街道ができる前の、古甲州街道でして、江戸時代になっても裏街道として案下峠は、人の往来も多かったようです。
 案下と言う名称は、八王子になる前の八王子の旧名です。
 武田勝頼が自刃した際に、武田信玄の娘・松姫一行も、この案下峠を抜けて、八王子の北条氏照を頼ったものと推測します。

 

 東京都側へは上記の写真のような感じになっています。
 和田峠へのアクセス・行き方ですが、下記の地図ポイント地点が和田峠となります。

 

 和田峠の有料駐車場は600円(2015年現在)です。
 和田峠の売店にて料金を支払うのですが、私が訪れた5月の平日の朝7時30分ではまだ開店していませんでした。
 しかし、駐車場に止める事はできました。
 閉まっている売店の周りを見渡しましたが、特に料金箱のような物もないので、戻ってきた時にお支払すれば良いかな?と思って出発です。

 

 陣馬山への登山口はいきなり直登の階段です。
 各写真はクリックすると拡大致します。
 佐野川方面から、何やら「耕運機」のエンジンのような音が聞こえて来ます。
 あとですれ違って分かったのですが、陣馬山の山頂売店に荷揚げなさっているキャタピラーの運搬機のエンジン音でした。
 乗せてってくれ~、と心の中で叫びます。(^-^)

 

 しかし、まだ朝ですので山の散策道は清々しく気持ち良いです。
 ただし、階段はさすがにキツイ部類に入ります。

 

 何度も現れる階段に息を切らしていると、その途中、遠くの方から頻繁にバン、バンと雷のような音が聞こえて来ます。
 付近に雨雲は見当たらないのですが・・。

 

 しかし、20分くらいで陣馬山の頂上に到着致しました。
 バン・バンと言う雷の音ですが、畑などの農作物をサルなどから守る空砲かな?とも思いましたが、こんな山の中でと考えますと違うように思えます。
 自宅に帰り、自分の頭脳に充分に酸素を供給しながら冷静に考えて見ますと、通行止区間で、大きな鉄の杭でも、打ち込んでいたのかな?と感じました。

 

 陣馬山の山頂はとても広く、展望もなかなか良い反面、木陰がありません。
 よって、5月と言えども非常に暑く感じました。

 

 関東山地の東縁に位置する山で、広く平坦な頂上のため陣馬高原とも呼ばれます。

 

 たぶん、PM2.5で、遠方がかすんでいると思われます。
 湿度がある?のか、天気がいいのに、富士山は残念ながら見えませんでしたが、上野原方面の街並みが見えました。

 

 東京都立高尾陣場自然公園、および神奈川県立陣馬相模湖自然公園に指定されていまして、関東の富士見百景、かながわの景勝50選および八王子八十八景にもなっています。

 

 この辺りの山で、一番高いですので、遠くまで見えますね。

 

 山頂には大きなトイレはありますが、水場はありません。
 売店は信玄茶屋、富士見茶屋、清水茶屋の3軒ですが、朝早かった為か、全部閉まってました。
 通常であれば、売店の営業時間は朝9時頃~夕方頃で、平日は営業時間の縮小・定休日・冬期休業などがあるようです。

陣馬山烽火台

 相模原市と八王子市にまたがる「陣馬山(857m)」ですが、もともとの漢字は「陣場山」や「陣張山」であり、猟師の野営場だったとされています。
 他には、萱(じん)の刈場であったとも言われています。カヤ刈場であったことから「茅(チガヤ)場」から言い方が変化したとの説ですね。

 

 ただし、戦国時代には武田氏が陣を構えたと言う説も見受けられます。
 しかし、地勢的に考えますと、烽火台として北条家が少数で守備していた考えてよいでしょう。
 武田信玄は藤野や相模湖から八王子に抜けた事などはないですし、武田一族の小山田信茂滝山城攻撃をした際にも和田峠の守りの裏をかいて、小仏峠から進軍していることから、北条氏が多少ではあるが見張台などとして使用した時期があるものと考えられます。
 しかしながら、その小山田信茂が、滝山城攻撃で通過した際に、退路を確保する為、少数にて、陣馬山を一時確保した = 陣を張ったのかもと推測すると、武田氏が陣を張ったと言えるのかも?知れません。

 ただ、馬で山頂まで来たとは考えられないことからもわかるように、昭和に入って陣馬山と呼ばれるようになり、山頂は晴れた日には日光連山、筑波山、富士山が望め360度の展望から、人気のハイキングスポットとなった訳です。

 

 1950年代に京王帝都電鉄が、観光地として売り出すために陣馬山頂に白い馬の像を建て「陣馬高原」と名付けて以降は「陣馬山」と呼ばれるようになりましたが、白馬が陣馬山に歴史的関係があるということではありません。

 

 上記写真は、南側から撮影した陣馬山の山頂です。
 まぁ、多くの登山客が訪れる陣馬山も、かつては烽火台だったと言う事ですね。
 下記の写真は山頂より東京側だいぶ下の方の巻道沿いにあった平地でして帰りに撮影したものなのですが、この郭が「馬の駐屯地」と考えられています。
 恩方側からここまでは馬が登れたのかも知れません。

 

 なお、陣馬山付近には白百合姫伝説もあります。

 ※登山をなさる際には、それなりの装備にてお願い申し上げます。装備に関してはこちらのページの下部をご参照願います。

引き続き、第2部「白百合姫伝説と石投げ地蔵嬢が塚」に続きます

 > 相模原の戦国時代ヒストリア 相模原の歴史カテゴリ

 

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