小松城 訪問記と写真集  (相模原市緑区)

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 相模原市の小松城は城山町城山湖の南、宝泉寺(高野山真言宗)の裏山に位置します。
 城跡の西半分は城山霊園造成のためすでに姿を消してしまいました。
 城が築かれた時には既に宝泉寺が開かれていた事から「宝泉寺城」とも呼ばれます。

 最初の城主や築城年代は不明で、鎌倉時代から誰かの居城だっと言う説もありますが、室町時代初期の1190年~1199年頃に、片倉城の城主・長井広秀(永井広秀、長井大膳太夫広秀、永井大善太夫広秀)が、出城として築いたのが始まりと言う説もあり、何度が拡充などされたと考えられます。

 ただし、鎌倉時代に築かれた城の特徴とも言える、とのやと(殿谷戸形式)なので、恐らくは横山党の一族が築いたのではと推測致します。

 

 登山道は3つありますが、一番近いのは宝泉寺の左脇にあるハイキングコースが便利です。
 比高は約45mで、本郭部分まで約5分といったところでしょうか?

 

 縄張りは、現在宝泉寺一帯が、谷戸地形を利用した居館とされ、その背後、標高217mの尾根上に詰の城を置くと言う、典型的な根古屋と詰の城を持つ城郭です。
 その後は、八王子に勢力があった大石氏が改修して、最終的に小田原北条氏が使ったようです。

 

 実際問題、津久井城(築井城)との連絡(煙火など)の中継点の砦として小田原北条氏は活用したものと推測します。
 八王子城-片倉城-小松城-津久井城と言う北条家の中継地点であったのでしょう。

 

 上記は郭があったと推測される場所の写真です。
 現在、宝泉寺がある所に「館」があったともされますので、宝泉寺の場所に守っていた城主などの住まいがあったものと推測できます。

 

 遺構としては、尾根上に空掘・櫓台跡・本丸跡が残り、堀切らしきものもありました。
 城郭のある尾根は、北から南へとハイキングコースになっていて、本丸跡には祠が奉ってあり、そこからは相模原市街が望めます。森林浴しながらハイキングするには良いところです。

 

 上記写真の遠方ビル群は、橋本駅付近の高層ビルです。
 また、小松城の麓は「かたくりの里」があり、毎年3月下旬にはキレイな花を咲かせ、JR橋本駅から臨時バスも運行されます。
 そのついでに、小松城から城山湖方面に散策される方も多いです。

 小松城の西に「評議原」(ひょうぎっぱら)と言う「もみじ」の林で有名な場所があります。
 評議原は、小田原北条氏が豊臣秀吉に攻められた時、片倉城・津久井城・小松城のそれぞれの武将が落城について相談した所と言い伝えられています。恐らく、それぞれの城の使者がひそかに相談でもしたのでしょう。
 もみじは11月中旬以降が見頃です。
 評議原から小松川方面に下ると「舟出ヶ沢」という場所があります。小松城から、舟で逃れる事ができたと言い、小松城の近くには「堀の内」という地名もあります。
 また、小松城付近には津久井城落城の際の「下馬梅」の伝説もありますので、あわせてご覧頂けますと幸いです。

 このように、相模原の津久井方面は、甲斐と相模の国境地帯であったことから相模湖町・藤野町・津久井町に津久井城を取り巻く形で、出城や烽火台が多数作られました。

 小松城へのアクセス(行き方)ですが、駐車場はありがたく宝泉寺の第2駐車場を拝借させて頂きました。
 そこから小松城だけを見るのであれば、観光所要時間30分といったところです。
 尾根(本郭)から、西に散策路を進むと、評議原を経由して城山湖へ抜けられますが、城山湖までは徒歩約40分といったところです。
 下記の地図ポイント地点は、散策路への入口を差しています。


小松城こそ、横山党の元・本拠地だった?

 小松城の麓は「小野」と言う地名です。
 小生はこの小野こそ、小野牧であり、横山党の祖である小野氏が小野牧の別当として土着した場所だと考えております。
 そうなると、すぐ近くの小松城の場所は、横山党の館跡だとも考えられ、小松城を築いた者は小野氏だとも言えるかと存じます。
 あくまでも自説で裏付ける文献などはありませんが、可能性はあるのではと思います。皆様はいかがお考えでしょうか?
 ご意見などございましたら、遠慮なくコメント欄よりご連絡賜りますと幸いです。

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