カテゴリー: 相模原の歴史

津久井城と北条氏 【相模原の歴史】

はじめに相模原市の津久井地区は、相模国と甲斐国の接点として、戦略上重要な土地の為、戦国時代には何万もの大軍がしのぎを削った。そんな相模原の津久井にまつわる話をまとめてみた。津久井城(築井城) 津久井湖畔の神奈川県立公園「津久井湖城山公園」に...

第2次世界大戦【太平洋戦争】と相模原の歴史関係

はじめに 相模原には現在アメリカ軍施設などがありますが、そのアメリカ軍施設がなぜできたのかを辿ると、太平洋戦争前に相模原を「軍都」とすべく計画があったことがわかります。 「星が丘」という地名は陸軍徽章の★に由来するとされ、戦前は陸軍の高官が...

当麻山無量光寺とは

一遍上人(1239年~1289年) 原当麻と無量光寺の話に入る前に、当地にゆかりある一遍上人についてもおさらいをしておく。 一遍上人は鎌倉時代中期の僧で時宗の開祖。一遍は房号で、法諱は智真。遊行上人、捨聖(すてひじり)、円照大師とも呼ばれる...

相模原横山党と 多摩・町田の地頭

 平安時代後期から鎌倉時代に神奈川県相模原に住んだ御家人、矢部氏、田名氏などに関連する御家人を番外編としてご紹介します。横山党 横山党を率いるのは横山氏で、豪族「小野氏」(近江国小野村)(現在の大津市)の小野篁から数えて9代目後裔とされる横...

相原と上溝の歴史【相模原市】

相原(相原、橋本、小山、清兵衛新田) 境川が流れ、日当たりのよう丘陵地を控えたこの相原は昔、粟飯原、藍原、合原とも書かれたほど、相模原市内ではとても歴史がある土地だ。恐らくは太古の昔から人々が生活していたのであろう。実際、縄文時代の遺跡も発...

横山党・小山田氏・北条氏・武田氏の先祖

 相模原の歴史シリーズ登場する大名や武将の経歴・家系などをまとめた番外編です。 横山党(横山氏) 敏達天皇(538?~585?)→春日皇子→小野妹子と、遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、小野篁(おののたかむら)(802~853年)の後裔と言わ...

相模原の昔からあった道と新しい道

 相模原の「道」に焦点を絞ってみました。調べると、相模原から各地に繋がる道は、太古の昔からあったことがわかります。大山道 丹沢山地の東に位置する大山は、山岳信仰として修験者の行場でもあった。大山に雲がかかっていると雨が降りやすい事から、古く...