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矢部八幡神社(箭幹八幡宮)と小山田高家のなぞ

矢部町にある「箭幹八幡宮(矢部八幡神社)」の御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)です。八幡神社の総本宮は、大分県の宇佐神宮です。八幡神社と言うものは各地にありますが、その理由は、大和朝廷が東日本の各地を征服した際に、八幡神社を建立した為だと...

津久井城と矢部氏の足跡 (2)  津久井氏を検証

津久井城を築城したとされる津久井為行相模原市の津久井に館を構えたのは、鎌倉時代初期の「津久井為行(筑井為行)」で、その津久井氏の名前が地名になったと言う説がよく見かけられ、津久井城のコーナーでも紹介させて頂いた。別の説では津久井為行の父・津...

戦国時代 駿河・尾張の矢部氏など

 鳥取の矢部氏 駿河国の住人矢部彦五郎の一族・矢部十良暉種が戦功によって鎌倉幕府より八東若桜郷20余力村を賜り、山田の山上(鶴尾山)に城を築いたと書かれている。これが若桜鬼ケ城の始めで、正治2年(西暦1200)とある。 相模の矢部氏との関連...

室町時代の矢部氏?

 1335年中先代の乱の頃、相模原市の淵野辺には淵辺氏が存在していたことが確認できているが、そののち矢部氏の名が再び現れる。 上杉氏憲(上杉禅秀)が鎌倉公方・足利持氏に対して起した反乱「上杉禅秀の乱」(1416年)(禅秀とは上杉氏憲の法名)...

津久井城と矢部氏の足跡 (1) 矢部氏との関連

 相模原市矢部の地名でもある「矢部氏」は、鎌倉時代初期に横山党の一族として「和田合戦」に和田側として参戦し、討死したと言う説がありますが、同じく横山党で討死しその後名前が出てこなくなった小山氏、田名氏などと異なり、後世にも津久井氏の流れと考...

横山党の相原氏、矢部氏、小倉氏、田名氏など

 粟飯原氏 (藍原氏、相原氏) 相模原に進出した横山党は最初は相模原市城山町の小野を中心に栄え、その後、相原に本拠を移し、相原から市内各地に別れていったと考えられますので最初に紹介します。 平安末期の頃、横山本家の横山時重が粟飯原氏と改名し...