横山党の一員だった相模原と周辺の地頭

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 横山党の一族が各地に移り住んで、その地の名を名乗ったと考えられます。

 横山、椚田、海老名、藍原(相原、粟飯原)、平子、山崎、鳴瀬(成瀬)、古郡、野部(矢部)、小倉、田名、由木、室伏、大串、千与宇、伊平、樫井、古市、田屋、八国府、山口、愛甲、菅生、小子、平山、石川、古沢、小野、古庄、中村、大貫、田屋、小沢、小俣、多岐(田儀)、野沢、小俣、小補摩、吉野、小野、 海老名、本間、河原田(石田)、荻野など

 横山党の祖である小野氏の本拠は、相模原市城山町の小野であると言うのが小生の説です。
 小倉氏は、小倉橋付近に勢力を持っていたのかも知れません。
 山崎氏は、矢部氏の子孫で町田市山崎が本拠地だった可能性が高いです。

 相模原近辺には、武士に関するものだったと考えられる「地名」が何件か現在でも使われています。

 「矢懸」 矢懸(やがけ)と言うのは、鎌倉武士が矢を打つ練習をした場所のことで、相模原清新3丁目の公園名になっています。
 「馬込」 津久井城の東のある地区名です。戦国時代に馬を飼育した場所と考えられます。
 「馬場」 馬場と言うのは馬の騎馬練習をした場所のことで、町田街道の交差点名になっています。鎌倉武士は日頃の鍛錬を大変重視していました。
 「常盤」 常盤(ときわ)とは、元々「とこいわ」と言い、永久に変わらないと言う願いが込められた地名です。町田市常盤は矢部町のすぐ横になります。
 「堀之内」 防御目的として堀で囲んだ集落や屋敷があった事を指し、日本全国に多い地名です。相模原でも田名や下溝などに数箇所、多摩市でも京王線の駅名として「堀之内」があります。
 「根小屋」 山城だと城内に居住できるスペースが少ない為、城の麓などに武士が住む屋敷を置いた地区の名です。津久井城の南に根小屋と言う地名が残っています。

柚木氏(由木氏)

 八王子市下柚木に永林寺があり、柚木氏の館跡だったとも、戦国期の滝山城主・大石定久の別邸があったとも言われています。恐らくは、横山党・横山孝兼の兄弟に由木六郎なる人物がありますので、横山党の柚木氏(由木氏)の館跡を大石定久が使っていたと考えられます。
 柚木氏じたいは、戦国末期八王子を治めた北条氏照の家臣として活躍していたようです。
 ちなみにこ大石氏は「津久井城と三増峠の戦い」でも簡単に触れていますが、江戸時代赤穂浪士で有名な赤穂藩家老・大石内蔵助の先祖とされています。

小山田氏

 鎌倉幕府の有力御家人・小山田氏が町田を中心に支配していましたが、詳しくは、小山田氏・小山田有信にてご高覧賜りますと幸いです。

長井氏(永井氏)

 八王子市片倉に「片倉城」があり、長井氏が築城したと言われますが、この長井氏は鎌倉幕府別当・大江広元の次男・大江時広(大江祝弘、長井時廣、長井左衛門、長井時広、永井氏とも)を祖とすることから、横山党が和田合戦で滅んだあと、現在の片倉(八王子市片倉)に入り、横山党が使っていた片倉城に入ったのではないかと考えられます。それが本当だとすると1215年前後に大江広元が八王子を所領としたと考えられますが、1200年代から片倉城があったかどうかは定かではありません。
 近くの京王線・山田駅辺りには、長井氏館跡とされる場所が残っています。
 また、永井氏は片倉城の支城として、城山町に宝泉寺城(小松城)を築いたとも言われていますが、小松城は永井氏の分家とも考えられます。
 その後長井氏(永井氏)は室町時代、扇ヶ谷上杉氏に属していたようです。しかし、1504年9月、武蔵立河原合戦において、扇谷上杉勢の長井八郎が山内上杉勢に「椚田塁」と言う場所で拘束されたと言う古文書があります。その椚田塁を片倉城とする説も有ります。
 その後、永井氏の名は歴史に主だって出なくなりましたが、現在まで続いており子孫の方より賜りましたメイルより下記のことがわかりましたので、修正・追記させて頂きました。
 1.永井氏は滅亡はせず、子孫は現代にも残り、八王子(片倉城下)で現在も続いている。
 2.片倉城近くに永井氏菩提寺が現在もあり、鎌倉の建長寺派となっている。寺の過去帳によると開祖:永井時広=大江広元の孫とある。また、周辺には同様に建長寺派の寺が複数ある。※時広の「広」は難しい漢字のため略して表現  ~時広と言うと、大江広元の次男(大江家としては分家)とする説もあります。ただし、親子で同じ名前を名乗るケースもありますので、なんとも言えません。

 さて、戦国時代初期の片倉城はその後、北条早雲の支配下になったと考えられます。
 片倉城には小田原北条氏独特の遺構があることから、国時代には小田原北条氏が片倉城を改修したようですが、八王子城落城と同時に落城又は開城したと考えられます。
 片倉城は太平洋戦争時に高射砲陣地が築かれていました。

黄金伝説

 「朝日さし 夕日かがやく 木の下に 黄金千両 漆万杯」
 この財宝は。小山田城主・小山田有重の子孫が埋めたとされ、ある資料によれば軍用金らしい。
 埋蔵した場所は相模原市上矢部の御所之入あたりとされる。この地の古い家には意図不明の縦穴があり、そのかたわらに榎の木と五輪塔などもあるという。
 鶴川駅近辺の町田市能ヶ谷町(のうがやまち)では古銭が土の中から発見され、その量は9万枚(約330kg)。室町時代の通貨とされている。

 参考

 坂東千年王国HP、ウイキペディア、武蔵野つれづれ、永井氏の子孫様(匿名)からのメイル

 古荘氏(古庄氏)の考察

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