丸山城と横溝五郎太夫 上溝にあった相模原の城伝説

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 相模原市上溝中学校の場所に「丸山城」があり、その城主が横山と呼ばれたと言う説もあります。
 そうです。バナナマンの日村勇紀さんが、テニス部の部長をやっていた上中ですね。

 丸山城(上溝)

 丸山城は横溝五郎太夫なる人物が鎌倉時代後期の1288年~1292年頃に城主だったようだ?と言う伝承がありますが、遺構などは確認されておらず詳しく事はわかっていません。

 丸山城(上溝)

 横溝五郎太夫は北条氏の被官から御家人になった人物とも言われ、鎌倉幕府が出来てまもない頃の1221年に後鳥羽上皇が京で挙兵した承久の乱では、1221年5月22日鎌倉から京に上った幕府軍の第一陣・先鋒隊の中に横溝五郎と言う名が見られ、1221年1月7日御弓始めでは射手十七人の2番手として横溝五郎資重、4番手に横溝六郎義行なる名が見られます。

 丸山城(上溝)

 なお、1259年に横溝五郎は 筑後国高三瀦村の地頭に任じたの記録もあり、福岡県久留米市三潴町高三潴に横溝館跡が残されています。その九州の横溝氏は鎌倉幕府滅亡後、川原氏を名乗っています。

 丸山城(上溝)

 また、鎌倉幕府滅亡時(1333年)には新田義貞勢と戦った鎌倉幕府軍に横溝五郎入道と言う名も見受けられます。

 丸山城(上溝)

 ただ、横溝氏の詳細についてはわからないことが多く、実際に相模原を知行したか裏付けるものはありません。

 横溝五郎太夫

 上記写真は、丸山城の先端から上溝駅方向を撮影したものです。
 JR相模線沿いが、ちょっとした散策路になっており、横山公園に抜ける事ができます。

 駐車場は中村書店のタイムズが便利です。